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千葉城跡と小城羊羹

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2019年4月29日(月)
千葉城跡と小城羊羹
佐賀県小城市旧千葉城跡
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佐賀県小城市の千葉城跡と小城羊羹を訪問した。
小城市は、鎌倉時代に関東下総(千葉県)を本拠地とする千葉氏が所領した。九州千葉氏の祖である千葉宗胤の孫胤継が千葉城を築城した。千葉城跡の前に小城羊羹の中核菓子店村岡総本舗本店がある。長崎から輸入された佐藤を使ったお菓子である小城羊羹を製造している。長崎から福岡に至る長崎街道は砂糖を運んだ為にシュガーロードと呼ばれる。

撮影データ i phone XR 絞り優先AE 中央部重点平均測光 絞りF1.8 1/1088秒 ISO感度 25 露出補正 オート 2019年4月27日13:39 板屋雅博 撮影

 羊羹の里、佐賀県小城市の千葉城跡、須賀神社

下総(千葉県)を本拠地とする千葉氏の一族が元寇の際に九州に土着し、室町時代は佐賀一体を支配し、本拠地としたのが小城の千葉城である。千葉一族は、桓武平氏の流れである平常長を祖として1100年頃、上総の国(現千葉市)を本拠地とし、千葉太夫と称した。孫の千葉常胤は、1180年に源頼朝が平氏に対して挙兵し、石橋山の戦いに敗れた後、積極的に源頼朝に加勢した。常胤は、平氏との戦いや奥州藤原氏との戦いで活躍し、千葉氏の権力は上総国まで及んだ。鎌倉幕府成立後日本各地に多くの所領を得た。鎌倉時代には下総の守護とされた。 足利尊氏の武将であった千葉宗胤は行賞により、佐賀の土地を貰って地頭となり、勢力を伸ばして九州千葉氏となった。

九州千葉氏

 
九州千葉氏
元寇の際に九州防衛(沿岸警護番役)のため、下総国より九州に派遣され肥前国に土着した千葉宗胤を祖とする。宗胤の孫三男胤継が肥前国小城郡、下総国千田荘・八幡荘を継承し、、その後肥前国小城郡については猶子(宗胤の次男)の胤泰が継承した。 九州千葉氏は、室町時代に全盛期をむかえた。戦国時代初期に東西両家に分裂し、西千葉家は龍造寺氏に仕え、その部将として活動した。龍造寺隆信死後は、龍造寺家の実権を握った鍋島直茂が一時期、西千葉家の千葉胤連の養子だった縁もあり重用され、江戸時代には鍋島姓を与えられて、佐賀藩に家老として仕えた。

 小城羊羹 村岡総本舗本店
江戸時代、砂糖は貴重品で徳島の和三盆などは別として、江戸時代唯一の開港していた長崎の出島にてオランダ商人が輸入し、博多や江戸へと輸送された。長崎街道は、鎖国の江戸時代に唯一海外に対する窓口として開港されていた長崎出島に通じる街道として重要であった。筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩の諸大名の参勤交代のほか、長崎奉行や西国筋郡代の交代、さらにはオランダ人や中国人の江戸参府や交易・献上品の運搬にも用いられた。 小倉と長崎をできるだけ最短距離で結ぶため直線状に整備された。沿線の街には砂糖を使ったお菓子が作られ長崎街道はシュガーロードと呼ばれた。小城市は、シュガーロード都市のひとつである。シュガーロードの名品としては、カステラ(長崎)、カスドース(平戸)、金平糖(長崎)、ヨーカン(小城)、千鳥饅頭(佐賀)、丸ボーロ(佐賀市)、鶏卵素麺(博多)など。

小城市の羊羹の祖、村岡総本舗本店の目の前にあるのが、千葉城跡の牛頭山である。小城羊羹の製法は虎屋に伝授されたという話もある。


長崎街道(シュガーロード)

 1885年の明治18年内務省告示第6号「国道表」では、長崎街道がそのまま国道4号「東京より長崎港に達する路線」となった。1920年(大正9年)の旧道路法では、福岡市を経由して鹿児島市へ向かう国道2号となり、八幡から筑紫野までの区間は国道から外された。1952年(昭和27年)の新道路法に基づく路線指定では旧国道2号が国道3号にに指定された。
小倉常盤橋、黒崎宿、.木屋瀬宿、飯塚宿、内野宿、.山家宿、原田宿(筑紫野市)、田代宿(鳥栖市)、轟木(鳥栖市)、.中原(なかばる)宿、神埼宿、.境原宿(神埼市)、.佐賀宿、牛津宿(小城市)、.小田宿(江北町)、北方宿(武雄市)、塚崎宿(武雄市)、.嬉野宿(佐賀県嬉野市)、彼杵(そのぎ)宿(東彼杵町)、松原宿(大村市)、大村宿(長崎県大村市)、永昌宿(諫早市)。矢上宿(長崎市)、日見宿(長崎市)
長崎 終点
黒崎から原田までは筑前国であり、これらを特に筑前六宿と呼ぶ。

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