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モーニントン半島

ドロマナ Dromana

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2016年1月30日(土)
ドロマナ Dromana
モーニントン半島 Mornington Peninsula
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map
 
ドロマナはメルボルンから南へ70kmの場所でメルボルン湾(ポートフィップ湾)に面した場所にあり、モーニントン半島の中央部に当たる。夏場にはメルボルンからたくさんの避暑客が訪れる。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞り10.0 1/320秒 ISO感度 100 露出補正-1/3 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2011年1月4日16:14


ドロマナの名前は1830年代後半に金を探しに来たアイルランドからの移民に由来すると云われる。
アイルランドの南部で英国ウェールズ地方に比較的近い場所にドロマナの地がある。1841年にヒュー・ジャミソン(Hugh Jamieson)が2000ヘクタールの土地を植民地政府から5000ポンドほどで購入した。ドロマナの土地小売は1854年に始まった。ドロマナ郵便局は1854円4月12日にオープンした。1861年に行政上の町となった。
ドロマナ桟橋は1872年に完成し、メルボルンなどから海路で物資が輸送され、市場に並んだ。1881年にはドロマナは海辺のリゾートとして有名になった。

ドロマナ開発の中心となったのはスペンサー・ジャクソン(Spencer Jackson)であった。
主な業績は1929年の南部のアーサーシート(Arthurs Seat)への道路の建設であった。当時、ドロマナ桟橋は現在より長く海へ突き出しており、大型の蒸気船(bay steamers)が着岸できた。ドロマナとソレントに蒸気船が就航しており、メルボルンから多くの観光客を集めた。マッキンノン家とショウ家がゲストハウスを運営しており、50年以上も続いた。

現存する最も古い建物はドロマナホテルであるが、1927年に Lou Carriggが改修する前はもっと美しい建物であった。



ドロマナホテルの後ろには競馬競技場が長い間、存在した。ドロマナ高校のそばにも競馬競技場があった。
ドロマナ海岸地区やフリンダースの桟橋など初期の建築物はアーサーズシート(Arthurs Seat)の木材を加工して使用した。バロック(Bulloc)地区から木材を切り出しCaptain Peter Pidotoの Little Angelinaへ運搬する為に農夫たちも作業した。
ドロマナ周辺の土地分割はJamiesonの特別土地調査(Special Survey)に基づいて行われた。



ドロマナの商業の中心はポイントネピアン道路にあった。ネピアンロードの向こう側にはアーサーシートが見え、草原が広がっていて、とても美しい景色であった。ネピアンロードの向かい側には魅力的で静かなビーチが広がってた。DAクリスディーバーベキュー施設はドロマナ産業地区で1974年に始まった。
ドロマナ地区にも多くのワイナリーがある。
ドロマナの南側にはアーサーシート、ort Phillip, Safety Beach, Mount Martha, Rosebud and Portseaなどの地区がある。

オーストラリアンフットボールではモーニントン半島ネピアンフットボールリーグがある。

 ドロマナ(Wikipedia)

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 現在の人口は6000名ほどであるが、夏場の環境客は数万人となる。


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