メアリーは、オーストラリアとニュージーランドの特に田舎の恵まれない子供たちの為に、数多くの学校と福祉施設を建設した。
1995年にローマ法王ジョン・ポール・二世(Pope John Paul II)によってマリーは聖人に次ぐ福者に叙せ( beatification)られた。ベネディクト16世は、2010年にバチカンにおいて聖人に叙せられた。オーストラリアに於いて最初で唯一の聖人となった。
メアリーは、ローマカトリック教会ブリスベン教区のパトロン聖人である。
マリーの父、アレクサンダーは英国スコットランド人でカトリック教会の牧師になり、28歳でシドニー経由でメルボルンに移民した。母フローラ・マクドナルド(1816年生まれ)は、1840年にメルボルンに移民した。二人は1840年7月に結婚して、8人の子に恵まれた。父アレクサンダーは、メルボルンでのカトリック教会の普及に努力したが、一方で金鉱山などの実業にも力を入れた。しかし実業はアレクサンダーには向いていなかったようで、事業は全て失敗して、家族を養うことは出来なかった。マリー達家族は困窮した。マリーは、8歳の時に洗礼を受けている。
マリーは、家族を養う為に、1859年、16歳でメルボルンコリンズ通りのの文具店・紙商店Sands and Kennyで店員として働き始めた。
18歳で叔父叔母の邸宅で住み込みの家庭教師となった。叔母のマーガレット・マキロップは、サウスオーストアリア州ペノーラで大地主であるアレクサンダー・キャメロンと結婚していたが、住み込みで子供たちの教師をした。キャメロンの大所有地の小作の子供たちの面倒を見ていた。このころテニソンウッズ(Tenison-Woods)牧師と出会った。1857年にセブンヒルで教育を得てから、南豪州の南西地区の選任牧師であった。マリーマキロップは、1862年にビクトリアのポートランドで子供の教職を得るまでの2年間をキャメロン家で過ごした。マリーは1864年に全寮制のベイビューセミナリーBay
View House Seminaryを開校したが、現在のベイビュー高校Bayview Collegeとなっている。マキロップの家族も加わった。
. 1866年テニソン牧師は、マキロップと妹のアニー(Annie)、レキシー( Lexie)をペノーラに招いて、カトリック教会学校を開いた。ウッドは、マキロップと共に同校の責任者となり現在も健在である。兄弟たちによって校舎が改築され、マキロップは50名以上の子供たちの教育を始めた。この時、マキロップは、神への貢献を誓って、黒い服を着用始めた。
1866年11月21日の生神女進堂祭(Presentation of Mary)に数名の女性がマキロップの学校に加わった。マリーは、キリスト教の聖なる名前であるSister
Mary of the Crossを自身の名前として、マリーと妹のレキシーはシンプルな礼服を着用した。少人数のグループは、自分たちをSisters
of St Joseph of the Sacred Heartと呼んでいた。アデレードのグローと通りにある新しい本拠地に移転した。ローレンス・シェイル司教(bishop,
Laurence Sheil)の依頼で新しい学校を始めた。
ウッドとマリーは、自分たちのコミュニティに人生のルール(rule of life)という名前を付けた。
シンプルな生活(poverty)、神の土地に於ける独立(dependence on divine providence)、個人所有の否定(no ownership of personal belongings)、神が与え、必要とされる仕事への意思などを掲げた。