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街並みとインフォメーションセンターマウント ガンビア

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2011年4月17日(日)
街並みとインフォメーションセンター
マウント ガンビア Mt. Gambier
サウスオーストラリア
South Australia
オーストラリア Australia

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航空写真

「レディ・ネルソン」マウント・ガンビア、インフォメーションセンター。ブルーレイクから、市内を通るベイロードで北上し、A1プリンセスハイウェイで左折した場所にある。
A1プリンセスハイウェイを東へ走るとメルボルンへ到達する。ベイロード(ペノーラロード)を北上すると、オーストラリアの名門ワイン地区クナワラへ着く。

撮影、2011年2月

 レディ・ネルソン号の船長、ジェームス・グラント(James Grant)。レディネルソン号は、1800年代の最初の頃、タスマニアやビクトリア沿岸で活躍した歴史的な調査帆船で、メルボルン湾(Port Phillip)に初めて入った船。
ナポレオンとの戦争に活躍した英国帝国海軍屈指のネルソン提督(Horatio Nelson)の奥さんに名前を由来。英国イングランドのDepfordで商用船として建設され、1798年11月13日に進水。1800年に英国海軍が購入。
調査船として建造されたために、喫水(Draft)がわずか6フィート。
1800年1月13日にジェームズ・グラント船長のもと、オーストラリアの探検に派遣された。3月18日にシドニーのポートジャクソンに到着している。わずか2ヶ月で大西洋、インド洋を越えており、当時としてはトップクラスの高速船であった。尚、当時、オーストラリアは、新オランダ(New Holland)と呼ばれていた。
 
マウントガンビアの街並み。

マウントガンビアは、海岸から30kmほど内陸部にあるので、実際にレディネルソン号の探検隊が上陸してきたわけではない。レディネルソン号は、1800年に現在のポートマクドネルの辺りに到達して、マウントガンビアを観察して命名している。
マウントガンビアの他、Cape Schanck, Cape Northumberland, Cape Banks, Cape Bridgewater, Mount Schank, Lady Julia Percy Island, Portland Bay, Point Danger, Cape Otwayなども名づけられている。レディネルソン号の最も有名な航海は、1802年にJohn Murray船長の下でのものです。歴史上初めてメルボルン湾(Port Phillip Bay)を発見して調査。この航海ではKing Islandも発見している。

ケープシャンク

 マウントガンビアビジネスセンター
1880年頃の建物。

レディネルソン号は、タスマニアのホバートを母港として活躍しており、ホバートにはレプリカのレディネルソン号が係留されている。レディネルソン号

マウントガンビアの名前は、グラント船長の上司であったジェームズ・ガンビア男爵、海軍提督(アドミラル)に由来する。ナポレオンとの戦争に活躍した。

 セントポール・カトリック教会(St Paul Cathoric Church)

マウント・ガンビアの町は、人口2万5千人。アデレードの104万人に続いてサウス・オーストラリア第二の都市。クナワラのワイナリーへの基地でもあり、アデレードやメルボルンから毎日、定期便が飛んでいる。アデレードからは、450km、メルボルンからは435kmと中間点にある。ビクトリア州との週境までは17km。クナワラのワイナリー、石灰岸海岸ライムストーンコースト、グレートオーシャンロードなどへの観光地への拠点となっている。

 1834年にポートランドに移民したヘンリー兄弟がマウントガンビア地区の所有権も持っていたが、その後、Evelyn Sturtの所有になり、1846年に郵便局が開設され町の建設が始まった。ヘンリー兄弟のポートランドへの移民は、1834年であり、ビクトリア州では1835年のメルボルンへの移民よりも遡り、最も古い。

 

マウントガンビア トライアスロンクラブ

マウントガンビアゴルフクラブ

City of Mt Gambier

石灰岸海岸ライムストーンコースト


撮影データ Canon EOS 5D
シャッター速度優先AE AIサーボ スポット測光 1/125 絞りF3.2 ISO感度 100 露出補正 -2/3 ホワイトバランス 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L
2011年2月4日撮影

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