2007年1月6日(土)(今日の一枚へ戻る)
ローブ Robe 南オーストラリア州 South Australia Melway 625−A2
クナワラ(Coonawarra)のワイナリーから更に西へ100kmほど行くと再度、海岸線に出ます。メルボルンからは、580kmほどの場所です。
メルボルンからワーナンブールまでの距離を2倍と思えば、判りやすいと思います。プリンセスハイウェイ(Princes
Highway)やグレートオーシャンロードから海岸沿いにも行けます。
Robe Map 地図
ローブ市公式Web
ロングビーチ(Long Beach)
ローブ(Robe)は、アデレードから南へ340kmの観光地です。メルボルンやビクトリア州の人々にはあまり有名ではありませんが、メルボルンのソレントや、モーニントンのような保養地、別荘地、観光地です。
海岸が非常に美しい場所です。南オーストラリア州は美しいビーチが多いのですが、中でもローブのビーチは、飛びぬけてきれいです。
この海岸は、ロングビーチ(Long Beach)と言って10kmの長さがあります。豪州では珍しく夏の間は、車で海岸へ降りることが出来ます。
海岸沿いの街はどこも同じですが、観光と漁業が主要な産業です。
南オーストラリアは、ホワイトポインテッドシャーク(White Pointed Shark)が非常に多く毎年、数名は犠牲になっています。
小さな街ですが、歴史的には重要な意義を持っています。1845年に開港されました。1850年代には、アデレード港(Port
Adelaide)に次ぐ、南豪州第二の国際港として繁栄しました。
イギリス本国からの貨物船は、まず南アフリカのケープタウンまでまっすぐ南下してきます。その後、喜望峰を回ったあと、豪州No1の都市であり港であるメルボルンを一直線に目指すのです。ケープタウンからまっすぐ東へ進路を取ると、ほぼこのローブの地点に到達します。この先は、バス海峡の難所が待っていることを考えると、この場所は避難港として、非常に重要であるとこがわかります。
長距離を踏破してきて、ローブで補給をしてから、メルボルン、アデレード、シドニー、タスマニアを目指したのです。
税関(豪州歴史遺産)
当時の姿をそのまま伝えています。
税関は、当時の政府機関の中でも最も重要な役目でした。製造業がほとんど未発達であったので、重要な物資は、全てイギリス本国などからの輸入品です。それを管轄するのが税関です。税関長は、特別な権限を持った役人でした。江戸幕府における長崎奉行のようなものです。当時は、所得税がありませんでした。従って、政府の税収入の70%は、関税からの収入です。今は観光地となっているローブですが、当時は横浜港のような繁栄を見せていたのです。
中国人移民記念碑 ローブにはもうひとつ見逃せない記念碑があります。1851年、ビクトリア州でゴールドラッシュが始まりました。1851年に2万人であった人口が1855年には30万人に膨れ上がりました。人口急増に手を焼いたビクトリア植民地政府は、ひとり10ポンドの入国税を中国人に課しました。これは渡航費用を上回る莫大な金額でした。もともと金がなく食い詰めものの砂金堀りにそのような大金があるわけがありません。1857年頃から16000名の中国人がローブに上陸しました。この地です。ここからゴールドラッシュの地点である、バララット(Ballarat)、アララット(Ararat)、ベンディゴ(Bendigo)まで徒歩で行ったのです。バララットまで320kmの距離です。
釣りをする若者。取った魚は、また逃がすそうです。たまには食べると言ってました。
観光と並んで重要な産業は、漁業です。特にロブスターの産地として有名です。水深が深く良い港です。
中国からの衣服、持ち物で10数名単位で歩く中国人の姿は、片田舎とはいえ西欧社会の一端である豪州人に奇妙な感覚や恐怖感など様々な感情を呼び起こしたことは想像に難くありません。
ローブの主な産業は、観光業ですが、キッチン付きのアパートタイプが多く60軒ほどあります。長期滞在をするのがオージーです。B&Bが10数軒です。ホテルは、2軒、バックパッカーが2軒です。ぜひゆっくりと訪問したい街です。
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