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レディネルソン Lady Nelson

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2008年10月25日(土)
レディネルソン Lady Nelson
エリザベス通り桟橋(Elizabeth Street Pier)
ホバート Hobart タスマニア Tasmania
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レディネルソン号は、1800年代の最初の頃、タスマニアやビクトリア沿岸で活躍した歴史的な調査帆船です。メルボルン湾(Port Phillip)に初めて入った船でもあります。

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ホバート、ロンセストン、メルボルン、ブリスベンの設立に貢献した偉大な功績を持つ船です。レディネルソンは、ナポレオンとの戦争に活躍した英国帝国海軍屈指のネルソン提督(Horatio Nelson)の奥さんに名前を由来します。レディネルソン号は、1799年に英国イングランドのDepfordで建設され、1800年に英国海軍に引き渡されました。
調査船として建造しされたために、喫水(Draft)がわずか6フィートしかありません。
レディネルソン号は、進水後まもなくJames Grant船長の指揮により、オーストラリアの探検に派遣されました。
1800年12月には、シドニーへの航海の途中にビクトリア(当時は、NSW植民地の一部)の西側地域に到達し、バス海峡を始めて通過した欧州船となりました。

 この最初の航海中にグラント船長は、ビクトリアの海岸線の多くの地名を名づけています。
Cape Schanck, Mount Gambier, Cape Northumberland, Cape Banks, Cape Bridgewater, Mount Schank, Lady Julia Percy Island, Portland Bay, Point Danger, Cape Otwayなどです。
1801年には、Jervis Bay, Westernportなども調査、命名しています。
レディネルソン号の最も有名な航海は、1802年にJohn Murray船長の下でのものです。歴史上初めてメルボルン湾(Port Phillip Bay)を発見して調査しています。この航海ではKing Islandも発見しています。
レディネルソン号の次の使命は、NSW植民地ハンター川をさかのぼってハンターバレー地区の調査です。石炭埋蔵地区を発見しています。
レディネルソン号は、1803年には、フリンダース船長(Matthew Flinders)のInvestigator号とも行動を共にしています。

 1803年7月には、レディネルソン号は、シドニーからタスマニアへの最初の殖民団を輸送しています。デビッドコリンズ大佐(David Collins)と10名の囚人、3名の兵隊を1803年9月7日にタスマニアに上陸させ、更には現在のホバートの場所に移動させています。1804年10月には、次の移民団をPort Dalrymple(現在のロンセストン)へ輸送しました。その頃には、オーストラリアの荒波でかなりの被害を受けていましたが、修理後に更なる任務についています。
スペインーアメリカ戦争の関係で、オーストラリアへ迷い込んできたアメリカの軍艦Estramina号と交戦し、同号をシドニーまで連行するという事件も起きています。
その後、ニュージーランドなどの探索の後、レディネルソンは、NSW植民地ブリスベン総督もと北部の地区(現在のブリスベン地区)を探索しています。

  1825年、レディネルソン号は、北西チモールへ食糧輸送の任務についていました。原住民に捕まり、船長以外の船員は、全員殺され、レディネルソンも放火されて小型の大砲2門を除いて焼却してしまいました。

現在のレディネルソン号は、1987年に原寸大にて復元されたものです。現代から見ると小さな帆船ですが、当時では立派な大型船だったのです。

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