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ロンセストン石炭ガス化工場 Launceston Gasworks

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2015年9月27日(日)
ロンセストン石炭ガス化工場  
Launceston Gasworks
ロンセストン セミチア通り タスマニア
Launceston  Cimitier Street Tasmania
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旧ロンセストン石炭ガス化工場は1800年代からロンセストンの町にガスを供給した化学プラントである。この工場が建設されたのは1860年で、明治維新の8年前である。江戸末期にロンセストンでは近代的なガスによる生活が始まっていた。豪州には数多くのガス化工場があったが、巨大な蒸留棟はほとんどが解体され、ロンセストン石炭ガス化工場は最後の工場であると思われる。

撮影データ Canon EOS 40D 絞り優先AE 価測光 1/640 F11.0 ISO感度 400 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2008年2月14日14:57 板屋雅博撮影

  ロンセストンは1804年から英国軍部隊が囚人と共に植民を開始し、1827年には北部地区の中心地として、人口は2000名ほどに達し、農産物の英国などへの輸出基地となって栄えていた。そのころまでの灯火は鯨油や牛羊などの脂を燃料にしていたが、においや煙などで人々からは不人気であった。1844年に地元のウィリアムラスプー(Doctor William Russ Pugh )は自宅で石炭ガスを使用開始し、翌年、ベンジャミン・ハイロン(Benjamin Hyrons)が石炭層から取り出したメタンガスでアンジェルホテル(Angel Inn )の灯火を灯している。1856年ロンセストン市はホバートガス会社に勤務するスコットランド生まれの技術者ウィリアムファルコナー(William Falconer)にガス工場の設計を依頼した。1858年にロンセストンガス会社が設立され、現在の土地が購入された。


  1859年に機械類は英国から輸入され建築請負業者も集められた。主要装置である水平式蒸留棟は1860年に建築された。1860年4月5日にロンセストン市の主要な通りは石炭ガスによる街灯が灯された。NSW植民地ニューカッスルからの石炭が遠路運ばれて使用された。ガス工場はTMLR鉄道敷地に隣接しているのも便利であった。1896年にダックリーチ水力発電所(Duck Reach Power Station)が稼働を開始した後も、石炭ガスの需要は更に増大し、1932年には垂直式蒸留棟が増設された。1900年代半ばにはウェストコム通りは歴史的建屋を撤去して西側へも拡張され、第三ガスタンク(gasometer)やLPGシリンダーなどが建設された。この部分はボーラル社やオリジンエネジー社が買収し、第三ガスタンクは2007年に解体された。


垂直式蒸留棟

 垂直式蒸留棟は、29mの高さでガス化工場の主要設備として1932年に導入され、近代化学設備とエンジニアリングの傑作と云われた。実際の操業では垂直式蒸留棟は、加熱設備による高温と騒音、充満する石炭ガスなどで過酷な労働環境であった。高層ビルがほとんどなかったロンセストンでは垂直式蒸留棟は、ランドマーク的な建物であり街のシンボルであった。建物の強度強化の為、鋼材が格子状に建物の煉瓦外壁を包むように配置されている。最上部に「ガスで調理を」(Cook with Gas)が書かれているが、ロンセストンでは有名なフレーズとなった。左の建物(垂直式蒸留棟)の西側(右側)に線状の設備が見えるが、これは地上の貯蔵ピットから原料の石炭を最上階の5階にある原料貯蔵ホッパーに上げる為のコンベアであり現在でも稼働可能である。コンベアを駆動するモーター室は西側の地下(ブレーカーピット)に設置されている。

垂直式蒸留棟

  最上部の原料貯蔵ホッパーからシューターを通って8基の蒸留器へ運ばれ、地上階に設置された炉で加熱される。抽出された石炭ガスは蒸留部の上部に配置されたふたつの並行した集合管で集められる。残留タールや液状分は集合管からドレインで分離され建屋西側3階に設置された分離タンクに集められる。集められた石炭ガスは蒸留流量調整器を通って蒸留棟の裏側に配置された排出管に入り、別棟の浄化設備で不純物を取り除かれた。


左:垂直式蒸留棟

右:水蒸気改質装置棟

  水蒸気改質装置棟(Carburetted Water Gas)は、垂直式蒸留棟の隣に同様の煉瓦と鋼鉄を使用した建築で1956年代に建設された。3階建てで屋上にブリキをはった小屋が置かれている。水蒸気改質装置は1基から2基へと増設され、内部に耐火煉瓦を張った巨大な鋼鉄製の炉と発電機を持つ3階建て建屋である。1階には電動と蒸気式の排気装置、水洗器、輸送機などの関連機械設備が設置してあった。最上階には石炭貯蔵庫があり重力落下式に水蒸気改質装置へ供給された。

現在実施中の再開発プランでは水蒸気改質装置棟は改装されて垂直式蒸留棟にガラス張の通路で結ばれる予定である。


水蒸気改質装置棟(Carburetted Water Gas)

 垂直式蒸留棟の構造図 Wikipedia

工場敷地南側のセミチア通りに沿って蒸留棟で生成された石炭ガスを貯留するガスタンクが並べられた。もちろん貯留するだけでなく追って販売され市内へ供給された。第一、第二ガスタンクは1860年建築、第三は1860年代建築、第四は1920年代建築、第五は1946年建設で、2007年までに全て解体された。5基あったガスタンクの中で3基の基礎部分は保存されている。

ロンセストンガス化工場(wikipedia)

ホバートガス会社(タスマニア百景)


 ガスメーターショップは新しいガスメーターを組み立てて試験する場所であった。1958年時点でロンセストンしないには6333台のガスメーターが設置してあった。ガス計測業者は自転車で市内を巡回してガスメーターを計測した。ガス計測業者は20フィートの交換パイプや合板材などの必要な資材を自転車で日々、運んだ。エンジニアリング担当者や会社の計測担当者は事務所としてもガスメーターショップを使用した。またスタッフのトレーニングセンターとしても使われた。ガス計測業者、ガスメーターメーカー、修理業者は生涯のうち5年間は会社の為に働く義務(徒弟制度)があった。最盛時の従業員数は80名であった。会社は家族的な雰囲気の中で経営され毎年クリスマスピクニックが計画された。


 セミチア通り沿いの敷地南側に小さなブリキ張りの木製の建物はガス工場のガス配給拠点であった。内部には2台の小型ブラドックガスタンク(Braddock Gasometers)が設置してあった。建屋東側の小型ガスタンクは大型貯留ガスタンクからの受け入れガス管に繋がっていた。二次ガス管は出口管としてガスタンクと流量調整器に繋がっていた。メインの流量調整器は排気装置と各種の計測メーター、圧力ゲージと共に建物の裏手に設置してあった。最初の流量調整装置はガス工場が建設された1860年に設置された。流量調整装置は10本のガス本管にガスを供給した。大きな2本は建物外側表面に見ることができる。この10本のガス本管を通してロンセストン市内に石炭ガスを供給した。.
流量調整装建屋は再開発の計画中である。

ロンセストン石炭ガス化工場は1970年代に石炭ガスが輸入LPGガスに代わった為に閉鎖された。

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