2008年6月28日(土)
シェフィールド Sheffield
北西部内陸部
タスマニア Tasmania
この場所の地図 Google Map
今日は天気予報がまったく外れて一日中、曇りでした。気温も15度ほどと低く、あまり外に出たくない週末です。
明日からも天気は回復しません。
昨年の今日2007年6月28日(フィッツロイBimbo's Delux)
街で唯一のガソリンスタンド。街の中心部に立地します。
撮影は、2008年2月。
Slaters Country Store
52 Main Street
Sheffield 7306
Ph: (03) 6491
1121
衣料品を中心になんでも販売しています。
シェーフィールドの街の中心の交差点に立つ用品屋さん
タスマニアの玄関口であるデボンポート(Devonport)とクレードル山を結ぶ中間地点にあります。デボンポートまでは30km、クレードル山までは、64kmです。
この界隈では比較的大きな町ですが、人口は、2006年の人口調査では1034人です。高校まではあります。
建物の壁画が有名になっており、観光客が立ち寄るようになり活気が出てきています。
人口1000人の場合、お互い知らぬ人はひとりもいないどころか周辺部の村落を含めても全員知っていることでしょう。
ローランド山 Mt Rorald
中心部から西へ向かうと3kmの地点に高度1234mの美しい姿が見えます。
日帰り登山道が幾通りも整備されています。頂上へ登るには、Claud通り側とGowrie Park側の二通りの登山道があります。
高原地帯参照(2枚目、3枚目がローランド山)
街の中心部から3百mも歩くと郊外へ出てしまいます。
この地区は、1842年にタスマニア植民地政府調査官Nathaniel Kentishがデロレインから北西海岸へ抜けるルートの確立のために調査に入りました。その後、この地区はケンティッシュ地区 Kentish Districtと呼ばれるようになりました。
シェフィールドのあたりは、ケンティッシュ平原(Kentish Plains)と呼ばれていました。
自由に居住出来る地区として一般に解放されましたが、1859年までは誰も住みつく人がいませんでした。現在では完全に平原になっていますが、当時は天然の森林が密生していてとても住める状態ではなかったからです。1862年までにこの地区は、30区画に分割されて販売され定住が始まりました。そしてシェフィールドの名前が付けられました。シェフィールドの名前は、ヴァンディーメンズランド土地会社(the
Van Diemen's Land Company)の重役であったEdward Currによって名づけられました。本人の故郷が英国のシェフィールドであったからです。
北のダベンポートへ向かって。
こちらは、お店が7軒ほど並んでいますが、その向こうは、郊外です。
左からニューススタンド(雑貨屋)、不動産屋、IGA食料品店、家具金物屋、アンティークの店、カフェレストランなどが並んでいます。
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