シティ案内

今日の一枚へ戻る

サウスメルボルン市場トップ

トラットリア ポルトベッロ

メルボルン百景トップ


2007年5月23日(水)
トラットリア ポルトベッロ Trattoria Portobello イタリア軽食店
サウスメルボルンマーケット
サウスメルボルン South Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今日は、昨日に比べると暖かな日でした。ただ曇りがちな一日でした。メルボルンの典型的な冬の気候になってきました。明日は晴れの予報です。

昨年の今日 2006年5月23日 

 この場所は、サウスメルボルンマーケットの北東のコーナーに当たります。以前は、マーケットの出口があっただけでしたが、このほどかなり大掛かりに改装してたくさんのお店が出来ました。
数年前までは、サウスメルボルンマーケットの周辺は、お店はそれほど多くはありませんでした。しかしこの1−2年でカフェ、レストラン、パブ、雑貨屋、洋服屋、ケーキ屋などたくさんのお店が出来ました。更にマーケットの直ぐそばに、新しくSafewayが建設中です。表通りのクラレンドン通りの昔からのColesも現在、改装中せす。昔は、貧しい移民の街であったのですが、メルボルンのシティに歩いても行ける至近距離なので急速に評価が高まってきていて高級住宅街と化そうとしています。

サウスメルボルントップ

 寿司Ken 日本人がやっているテークアウェイの日本食のお店です。

サウスメルボルンは、フィッツロイと並んで最初にメルボルンから分離した市です。1835年に英国人が定住する前は、この界隈は、湿地帯でした。タウンホールがある場所が小高い丘になっていて、原住民族アボリジニの集会所、居住地でした。1840年代に英国人が住みついてエメラルドヒル(Emerald Hill)と名付けました。1851年にゴールドラッシュが始るとポートメルボルンのサンドリッジ海岸にたどり着いた移民たちは、この辺りにテントを張って暮らし始めました。テントシティ、キャンバスタウンと呼ばれていました。1855年にメルボルンから分離して独立行政地となりました。急速に拡大してエメラルドヒルタウンは、1870年代にタウンホールを建設しました。当時の潤沢な資金を繁栄して立派なタウンホールです。
 

 Dim Sims と春巻きの店。 サウスメルボルンマーケットでも1−2を争う人気店です。

1883年には、市制をひいてエメラルドヒルからサウスメルボルン市へと名前を変更しています。メルボルンの他の地域と同様に1950年代から長い不況の時代に入りました。1960年代には、ビクトリア州住宅建設局によりいくつかの悪名高い共同住宅(パブリックハウジング)が作られました。Park Towersなどです。しかしこの共同住宅に多くの貧しい移民が住みつき、この地域のスラム化が始りました。ポートメルボルンの港湾労働者、輸入品を原料とした軽工業工場なども多く、港湾地区としての一面も併せ持っていました。



 左手奥がサウスメルボルンマーケットの正面。そこから右手に行くとサウスメルボルンのトラムの駅があります。
サウスメルボルンマーケットは1867年に開設されています。

トラム96番  
トラム112番

Port Phillip公式Web

サウスメルボルンマーケットの営業日は
水曜日、土曜日、日曜日です。
水曜日にマーケットが営業しているのは、メルボルンでここだけです。

このページのトップへ

下記に『メルボルン百景』のサイト内検索機能を付け加えました。 調べたい単語を入れてみてください。ヤラ川、トラム、レストラン、ワイン、などなんでも検索できます。

Google
WWW を検索 ”メルボルン百景”を検索

当ページに記されている内容の信頼性に関しまして、筆者は責任をもっておりません。ご注意ください。
当ページ及び付属のページに記載されている内容や画像を無断で複製・転載・使用することを禁じます。
当サイトは、ホームページ、ブログなどにリンクフリーです。リンクされたら下記までご連絡ください。
Copyrights (C) 2005-2006 Melbourne Hyakkei All Rights Reserved.
Please contact to itaya@iprimus.com.au


inserted by FC2 system