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2007年1月31日(水) (今日の一枚に戻る
ナイトマーケット
ビクトリアマーケット
Queen Victoria Market
メルボルン Melbourne
Melway 2B−B12
ビクトリアマーケットの地図 Google Map

今日は朝から快晴です。若干の薄い雲が出ている以外は、快晴の良い天気でした。しかし気温は、さほど上がらず22度ほどでした。夕方には、半袖では肌寒く、長袖や上着を着ている人をたくさん見かけました。

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ビクトリアマーケットから南方向を向いています。
スズキ自動車がスポンサーです。
12月の後半から2月28日まで 毎週水曜日の午後5時半から午後10時まで

ビクトリアマーケットは、ビクトリア州のみならず豪州最大のマーケットです。南半球でも最大と言われています。1857年頃からこの場所で小規模な市が立っていました。ビクトリアマーケットや他のマーケットを管理するための組織が、発展してメルボルン市政府になりました。それくらいビクトリアマーケットはメルボルンの市と共に歩んできました。1800年代の雰囲気を残すビクトリアマーケットです。

Tuesday: 6am - 2pm   
Thursday:
6am - 2pm
Friday: 6am - 6pm (General merchandise closes at 4pm)
Saturday: 6am - 3pm
Sunday: 9am - 4pm 

Closed every Monday and Wednesday

ビクトリアマーケット公式Web

スズキ ナイトマーケット

数年前から始まったナイトマーケットです。当初は規模も大きくなかったのですが、毎年少しずつメルボルンっ子に知られるようになり出店も増えました。今ではメルボルンの夜に欠かせない名物になりました。
右側の普段は野菜売り場の中が、水曜日だけ全部取り除かれて、屋台が全部で100台以上、入ります。飲食店が50店以上、小物などの物品販売が50店以上です。
食べ物を屋台は、どこもお客さんが並んでいて壮観です。まっすぐに歩けないほどです。これほど混んでいる場所は、メルボルンの中では他には週末のクラウンカジノくらいしか思い当たりません。
右側の屋根から屋台で使う火力バーナーから出る煙がかなりの勢いで上がっています。おいしい料理が出来ています。


正面には、ライブバンドが入ってます。今日はキュ-バのラテンバンドが入っていました。

1851年にビクトリアは、NSW植民地から独立して植民地になりました。その年にゴールドラッシュが始まりました。3万人だった人口が3−4年で10倍の30万人に膨れ上がりました。宿泊設備、食料品、病院、医者、医薬品など全部が足りません。まだ抗生物質も発見されていない時代です。多くの移民が病気、事故で到着後、数年で亡くなりました。しかし当時は十分な埋葬場所が確保されていませんでした。ゴールドラッシュ以前のメルボルンで最初で唯一の墓地は、フラッグスタッフガーデンから直ぐ南のウィリアムスからキングにかけての一帯です。しかしゴールドラッシュ以降の急激な増加で場所が足りなくなりました。次に選ばれた場所がここビクトリアマーケットの場所です。それも肉野菜売り場から野菜売り場辺りです。すなわちこの写真の一帯です。実際にゴースト見学ツアーもあります。

ビール、ワイン、コーヒーなどの飲み物コーナーもあります。テーブルはたくさんありますので、どこか座る場所はあります。でもあちこちで道路に座り込んで食べている人たちもたくさんいます。

墓地の話は、実際のことです。まだ地下にはそのままの姿で残っているということです。微妙な表現ですが、公式Webの中にもはっきりと書いてあります。歴史を知ると夜店ももっと楽しくなります。

ビクトリアマーケットの歴史(公式Web)

夏の夜に相応しいツアーです。
The Haunted Ghost Melbourne Tour

昨年のナイトマーケット

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