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ビアボラーレ Via Volare Cafe Bar

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2006年10月1日(日)へ
14時15分
イタリア料理
ビア ボラーレ Via Volare Cafe Bar
ブランズウィック通り
Brunswick Street, Fitzroy
Melway 2C−B6

今日もほぼ快晴の一日でした。気温は、ぐんぐん上がり25度はいったと思います。半そでシャツでも十分なくらいまで気温があがり、まさしく真夏の日差しとなりました。

昨日までの画像
↓この下に追加画像があります。

Via Volareは、右側のユーモラスなおじさんの銅像が人気でブランズウィック通りの中でもランドマーク的なお店です。

ブランズウィック通りは、メルボルンのシティの北西のコーナーのセントパトリック大聖堂のあたりから始まります。1kmほどの長さです。カフェや小売店が集中しているのはジョンストン通り(Johnston Street)を周り500mほどです。サバーブ(suburb)では、フィッツロイFitzroyになります。

your restaurant
Via Volare 326 Brunswick St Fitzroy 3065 VIC
Phone: (03) 9416 3530
看板にありますが、朝、昼、夜と週7日やっています。イタリア人は勤勉なのです。朝9時ー夜11時

ブランズウィックの名前は、Captain Brunswick Smytheから来ています。
メルボルンの開拓初期の頃、Benjamin Baxterがビクトリアパレード(Victoria Parade)周辺の土地を持っていました。第二次世界大戦後に多くの戦火にあった地中海沿岸諸国の移民がこの地域に住みつきました。特にFitzroyにはイタリア移民やギリシャ移民が多く住みました。たくさんのカフェがあるのは主にイタリア人の影響です。1840年代からお店が並び初め1850年代の中ごろには、シティのバーク通りと並ぶメルボルンのショッピング街となったのです。年代が進み、Fitzroyは主に労働者の街として発展しました。商品や賃貸料などが安くかつ活気があるために、1970年頃から芸術家、音楽家などが多く住み着くようになり、現在のブランズウィック通りの性格を作っています。

労働者の街であった為に、どの店も古く小さくごみごみとした感じを受けます。これがかえって今の若者に受けている様子です。きどらないとことこれがブランズウィックの特徴です。

ブランズウィック通りをこのまま北へ500mほど行くとイースタンフリーウェイ(Eastern Freeway)にぶつかります。その名の通り無料の高速道路です。真東へ向かう大動脈です。朝晩は非常に混雑します。このブランズウィック通りもシティへ通り抜ける幹線道路ですので、一日中混雑しています。

行き方 トラム112番

visitvictoria

Fitzroyは、メルボルンの最初に出来たサバーブ(suburb)です。1858年にメルボルン市から分離してFtisroy市となりました。その北側のNewtownは、その後Collingwood市となります。
1851年に始まったゴールドラッシュによりメルボルンの人口は急激に膨張しました。また膨張した人口を支えるために各種の産業が必要になりました。このFitzroyの地に多くの製造工場が建設されゴールドラッシュが終わった後の労働者を吸収しました。1860年から1880年にかけてFitzroyの労働者人口は急膨張しています。当初は豪華な家屋も老朽化しスラム街と化していったのです。現在、Fitzroy, Collingwood, Richmondが合併してCity of Yarraとなっています。

南のメルボルンシティ方面。
遠くにセントパトリック大聖堂(St Patrick Cathedral)が見えます。高層建築があまり無くほとんどが2階建て、3階建てまでの建物です。裏手に一歩入ると昔の工場がそのまま残っています。今後、再開発されていくでしょう。
高い建物が無いので空が良く見えます。
このブランズウィック通りを通り越すとシティに入ります。

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