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フレンチビストロ マダムソウソウ

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2007年3月5日(月) 午後4時00分(今日の一枚へ戻る
フレンチビストロ マダムソウソウ
Madame Sousou
Melway 2C−B8
ブランズウィック通り Brunswick Street
フィッツロイ Fitsroy
メルボルン Melbourne

土日は天気が良くなかった反動で、今日はからっと晴れてきました。秋もだんだんと深まってきたのか、寒さがかなり感じられる朝でした。上着を着ている人も多いのですが、午後からは暖かくなってきました。



 典型的なフィッツロイのテラスハウス
メルボルンは、古い建物を大切にする街なので、たくさんの建築物が建設当時のままに残っています。なかでもフィッツロイのテラスハウスは世界でも有数の美しさで有名です。メルボルンの1835年の創立から1901年に豪州の初代の首都になるまでの期間は、英国ビクトリア女王の統治、いわゆるビクトリア時代とほぼ一致します。テラスハウスは、このビクトリア時代を象徴する建物なのです。同時期には、豪州、NZ、米国、英国、シンガポール、マレーシアなどの英国連邦(Commonwealth)でも同様のテラスハウスが建てられていますが、ゴールドラッシュにより当時、世界でNo1の金持ち都市であったメルボルンは、高価であった鋳物の装飾を多用した豪華な建築で他の都市を圧倒しています。

Public Housing 又は Project Homes
その対極にあるのが、正面左手にある集団住宅です。ほとんどは1945年から1980年にビクトリア州政府によって建てられました。第二次世界大戦が終わった1945年に建築が始まったことから判るように、元来の目的は、帰還兵士に安価で良質の住宅を供給しようというものです。当時は、大量の帰還兵士のため、一時的な住宅の欠乏現象が起こったためです。しかし安直な住宅は、直ぐに見放されて、低所得者層の住宅となり、1960年代以降は、周辺の環境の悪化と共にスラム化するという事態になりました。現在でもPublic Housingは、フィッツロイを初め、リッチモンド(Richmond)、サウスメルボルン(Southmelbourne)、ノースメルボルン(North Melbourne)などに見られます。ベトナム難民の収容の為といううわわが流れていますが、それは違います。

フレンチビストロ マダムソウソウ
231 Brunswick St
Fitzroy 3065 VIC
Phone: (03) 9417 0400

ブランズウィックは昔は、パンクな若者の街という印象がありましたが、最近、サウスヤラと同様にすっかりお洒落な街へと変化してきています。明るい雰囲気のお店が増えました。お嬢さんの背もたれになっている鋳物の灯台も莫大な費用をかけて、すべて英国より輸入したものです。

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