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2008年9月2日(火)
黒猫 The Black Cat
ブランズウィック Brunswick
フィッツロイ Fitzroy
この場所の地図 Google Map

今日は朝からうす曇りでした。午後からは雨模様の天候でした。寒さもまた戻ってきてすっきりしない一日となりました。

昨年の今日2007年9月1日(バラライン半島鉄道

黒猫は、フィッツロイブランズウィック通りの中では南のシティ側に位置します。

 Black Cat Bar
Address 252 Brunswick St
Fitzroy 3065   Phone 03 94196230

週末にはバンドが入って、若者で満員になる人気のお店です。店の外にもテーブルがいつくかあります。冬でもガスバーナーがあり、暖かく過ごせます。

Visitvictoria
Melbourne Pub

昼のブラックキャット

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フィッツロイの名前は、NSW(New South Wales)植民地第十代総督チャールズフィッツロイSir Charles Fitzroyに由来します。

チャールズの弟に、ロバートフィッツロイ(Robert Fitzroy)がいます。

 ロバートは、チャールズダーウィン(Charles Darwin) を乗せた英国海軍測量船ビーグル号(HMS Beagle)の船長でした。
メルボルンに移民が始まる4年前の1831年12月27日、ロバートフィッツロイを船長としてチャールズダーウィンを乗せた測量船ビーグル号は、正確な天気予報をするために気象観測データ入手を主な目的として世界1周の旅に英国プリマス港を出発しました。
英国コーンウェルへの帰国は、1836年10月2日の5年間の旅です。

調査の旅の5年間のうち、海上移動は2年間で、3年間は、陸上での観測に使われています。

 この航海では、ブラジル、フォークアイランド、チリ、ペルー、ガラパゴス諸島、NZ、シドニー、タスマニアホバート、西豪州、モーリシャス、ケープタウン、英国というコースをたどっています。

ダーウィンが進化の樹(進化論)を考え付くきっかけになったガラパゴス諸島を訪れたのは、1835年9月15日です。
メルボルンに植民が始まった1835年8月30日からわずか半月後のことです。

シドニーには、1836年1月に立ち寄っています。

ダーウィンは、この航海での調査を1839年に『ビーグル号の航海』(The Voyage of the Beagle)という本にまとめています。
これは、ダーウィンが科学者としてビーグル号での体験をまとめた学術論文です。


 ダーウィンは、帰国2年後の1837年ころから種の進化に関する構想を持ち始め、1844年ころに詳細に渡っての進化論の骨格を考えています。
しかし当時の社会状況の中で、神の存在を否定するに等しい進化論を唱えることは容易でなく、発表までにはさらに10年以上を必要としました。
ダーウィンは、有名な『種の起源』(On the Origin of Species)を1859年に発表しています。

ロバートフィッツロイは、ビーグル号の航海の後、海軍で昇進して、後にニュージーランド総督になっています。

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