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ブライトン サンドリンガム

ニューストリート鉄道踏切と守衛小屋 

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2015年12月27日(日)
ニューストリート鉄道踏切と守衛小屋
New Street Railway Gates and gate-keeper's cabin
ブライトンBrighton
メルボルン Melbourne
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ブライトンビーチ駅から海岸までの間にニューストリート鉄道踏切と作業員小屋がある。かつてメルボルンには数百の踏切作業員小屋があったが、踏切の自動化無人化に伴い大半が撤去され、現存するものは少ない。2007年のABCニュースではこの踏切は南半球で唯一現在も操業されている有人手動式踏切である。

撮影データ
Canon EOS 5D MarkU絞り優先AE 評価測光 絞りF10.0 1/160秒 ISO感度 100 オート JPEG レンズ EF 24-70mm f/2.8L IS USM
2015年1月21日16:21 板屋雅博撮影

 ニューストリート鉄道踏切(New Street Railway Gates)はブライトンのニューストリートとサンドリンガム鉄道線の交差する場所にある。ブライトンビーチ駅とハンプトン駅の間でニューストリートとビーチロードの交差点のすぐ内側である。出来た当時は踏切は手動式で普段は一般交通の為、開けた状態であった。海側と陸側にそれぞれに木製のゲートがあり木製のフェンスがある。海側北側の守衛小屋(ゲートキーパーズキャビン)は小形で薄い板張りのウェザーボート小屋で、切り妻トタン鉄屋根構造ある。鉄道トラック側に向いて出入口がある。内部には小さな煉瓦製暖炉と煙突が出入り口とは反対の海側の壁の部分に設置してある。信号用の数本のレバーが交差点側のキャビンの木製外壁に立てかけるように設置してある。小さな切り妻トタン屋根の物置小屋が海側に設置されている。




 ブライトンビーチ鉄道線は1887年にハンプトン駅経由でサンドリンガムまで単線(a single track)で延長された。1902年に複線化された。現在の踏切のレイアウトは複線化された1902年頃のものと思われる。ブライトンビーチ鉄道線には現在5か所の守衛小屋がある。守衛小屋の維持運営のために多額の費用がかかっていた。これまで守衛小屋の数は減らされ又閉鎖されてきた。
1892年からビクトリア州の踏切と守衛小屋は900か所以上も撤去されたきた。現在残っていて操業されているものはメルボルン近郊のみで、郊外に残っているものは数少なくなっている。


ニュースストリート踏切信号の追加作業は1903に始まり、1919年に完成した。歩行者用の木製フェンスゲートは1920年代に設置された。
機械操作式ゲートは離れた場所、通常はシグナルボックス(信号扱所)から回転する輪によって操作された。シグナルボックスは1879年からメルボルン近郊から導入され、1935年までに80か所の踏切で導入された。1935年にはメルボルンには60箇所の有人踏切があった。1930年代までは通常は列車側がオープンの状態にしてあり、人や車が通る際にだけゲートを開ける仕組みであった。



ブーム式遮断機は1956年から導入された。
1988年にはメルボルン近郊では有人踏切は16か所となった。ほとんどの有人踏切はアップフィールドライン(Upfield Railway Line)であったが、現在では一か所も残ってないが、いくつかの場所で遮断機と守衛小屋は現存している。


ABCニュース 

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