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ワンス アポン ア タイム イン イタリー

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2008年11月21日(金)
ワンス アポン ア タイム イン イタリー
Once upon a time in Italy
Le Arti Per Via 街の芸術家
ライゴンストリートフェスタ
Lygon Street Festa カールトン Carlton
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

今週は、オーストラリア全体で天気が良くなくメルボルンでも曇りで昼間でも17度、夜は10度と冬の気温となりました。

昨年の今日 2007年11月21日(シティとヤラ川、フットブリッジ


 1900年代初頭のメルボルンのライゴンストリーとイタリア本国へ迷い込んだようなこの光景は、11月15日と16日にカールトンのライゴンストリートで行われた劇団の公演の準備の様子です。公演前の準備で慌ただしい様子が却って当時の様子を彷彿とさせます。この劇団の名前は、『Le Arti per Via』(街の芸術家)といいます。イタリアのVeneto地方のBassano del Grappaという町からやってきました。Veneto地方は、ヴェニス(Venice)から70kmほど北の近郊にあります。
劇団員は、55名です。19世紀から20世紀になる頃、1900年頃のイタリアの町を描いています。1901年には、オーストラリアは、イギリスの植民地から独立して連邦国家となり、メルボルンが初代の首都になったころです。

Bassano del Grappa Google Map

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  劇団の公演のちらしを配る劇団員。
この劇団の特徴は、劇団員が来ている服などを除けば、小道具はほとんど全て本物を使用していくことです。
劇団員は、イタリアからやってきているので、英語はほとんどまったく話せません。(実際にしゃべってみましたが、片言のみでした。)1900年ころのイタリアは、ヴィットリオエマニュエル3世の絶対王制の時代で一般民衆には厳しい時代でした。直ぐ後に来る第一次大戦や第二次大戦で多くの難民が発生し、メルボルンへ多くの移民がやってきた時代でもあります。
『Le Arti per Via』は、その厳しい時代でも民衆が如何に生きていたかを演じて見せます。ライゴンストリートに住むイタリア人たちにとっては自分たちの親や祖父母の時代であり、自分たちの出生につながる誠に切実な話題です。

 今回のオーストラリア公演は、ライゴン通りフェスティバル委員会が中心となって招いたものです。メルボルン2日を含み、ビクトリア州で4日、首都キャンベラ1日、シドニー2日の公演です。総勢55名と全ての道具を遠路はるばるイタリアから運ぶにはイタリア大使館やイタリア本国の援助があるとはいえ、莫大な資金と労力が必要です。
イタリア人もまた祖国イタリアとの強い結び付きをかけがえのない大切なものだと感じていることが良く判ります。

1900年ころの自転車。
後輪チェーン駆動が発明されたのは、1884年です。
空気入りタイヤは、1888年にジョン ダンロップ(ダンロップタイヤの創始者)が実用化しました。従ってこのタイプの自転車は、1900年ころでは、世界最新タイプだったのです。

1900年頃は、ローマやミラノにやっと電気が行き渡った頃です。田舎はまだ灯油ランプが一般的でした。その向こうでは木綿から綿糸を紡ぐ女性。

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