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メルボルン港の歴史 Port of Melbourne

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2008年7月12日(土)
メルボルン港の歴史 Port of Melbourne
ニューキー New Quay
ドックランズ Docklands
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

天気予報に反して、今日も一日、曇りで寒いメルボルンでした。最高気温も10度ほどです。この5年ほどで一番、晴れの日が少ない年のようです。

昨年の今日2007年7月12日(DFO Direct Factory Outlets

ドックランドは、220ヘクタールに及ぶメルボルンの最大の再開発地域です。
長い間、ドックランドは、メルボルンの港地区でした。

 メルボルンの最初の移民者タスマニアのジョンバットマンが現在のサザンクロス駅の南側の丘に移民開始の翌年の1836年に自宅を建設しました。その丘は、バットマンズヒル(Batman's Hill)と呼ばれました。ドックランドの辺りは沼地でバットマンズラグーン(Batman's Lagoon)と呼ばれていました。メルボルンの一番最初の港は、サンドリッジの海岸です。タスマニアや欧州からの移民は、海岸に小型手漕ぎボートで荷物を荷揚げしていました。その後、ポートメルボルンに、ステーションピアが建設され、多くの移民や貨物船利用して、豪州最大の桟橋となっています。ウィリアムズタウンの桟橋もその頃建設されています。

シーフードレストラン
Livebait Restaurant & Bar
55B Newquay Promenade

バットマンズヒル

 ポートメルボルンや、ウィリアムズタウンからの貨物や人は、メルボルンのキング通りに建設されていた倉庫まで、再度、列車で運ぶ必要があり、かなり非効率でした。植民地政府は、1877年に英国人技師Sir John Coodeを招へいし、ヤラ川のバイパスの建設を開始しました。1870年代には、当時の大型貨物船がヤラ川をさかのぼって、現在のクラウンカジノの前まで上がってきています。クイーンブリッジ橋のところで回頭する貨物船の写真は多く残っています。その頃には、サウスメルボルンが港地区として栄えました。帆船Plolly Woodsideが置いてある海洋博物館には、Duke and Orrというドック(修理ヤード)の遺構が残ってますが、これが当時の唯一のなごりです。

海洋博物館とPollywoodside


 メルボルンの人口が急激に増えたため、スペンサー橋が1928年に建設され、大型船がヤラ川をさかのぼってくることはなくなりました。バットマンズラグーンを港に変えるための工事もJohn Coodeが監督しています。ドックランドは、1889年にオープンしています。1956年にAppleton Dock、1960年にWebb DockとSwanson Dockが建設されています。Swanson Dockは、John Coodがヤラ川のバイパス建設の際の土砂で作られた人工島の上に作られたもので、メルボルンの最初のコンテナヤードです。
現在のメルボルン港は、年間3500隻以上の外洋船が発着し、200万個以上のコンテナを扱うオーストラリア最大のコンテナ港です。ヤラ川や、メルボルン湾の水深が浅くなっており、浚渫作業をする必要がありますが、自然保護団体による反対運動が激しくなかなか進展していません。


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Port of Melbourne 公式Web

モナッシュ大学資料(ドックランド)

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