シティ案内

今日の一枚へ

ドックランズトップ

ドックランズの夕焼け ニューキー プロムナード

メルボルン百景トップ

2009年7月13日(月)
ドックランズの夕焼け
ニューキー プロムナード
NewQuay Promenade
ドックランズ Docklands
メルボルン Melbourne
この地区の地図 Google Map

今日のメルボルンは、昼頃までは晴れ間が多い天気であった。昼過ぎから小雨と晴れ間が交差する天候となった。

昨年の今日 2008年7月12日(The Lucas Hotel

Canon EOS 40D 絞り優先AE シャッター速度1/125秒  絞りF6.3 評価測光  ISO感度 100 太陽光 画質圧縮率 RAW  レンズ EF-s17-85 f/4-5.6L IS USM

エティハッドスタディアム
Etihad Stadium

メルボルンの最初の港町は、ヤラ川のクイーンブリッジのたもとにあるクイーンワーフ(クイーン桟橋)だ。現在のメルボルン水族館の東側一帯。
1835年にタスマニアからの移民団が、クインワーフあたりに上陸したことに始まる。クイン桟橋一帯から定住がはじまり、直ぐ隣にメルボルン税関が出来た。コリンズ通りとウィリアム通りの交差点にメルボルン最初のウェストマーケットが出来た。


 ボルテ橋 (Bolte Bridge)
二番目の港町は、ポートメルボルンだ。
1851年にゴールドラッシュが始まり、大量の金鉱山目当ての移民が始まり、ステーションピアが建設された。毎日、数隻の帆船が到着する大盛況で、サンドリッジの海岸は港町景気に沸いた。
クインワーフは、手狭になり閉鎖されたが、現在のクラウンカジノからメルボルン展覧会場周辺がメルボルンで初めての船舶修理ヤードとなった。ヨーロッパから長距離をやってきた帆船の修理に主に使われた。
1880年頃にヤラ川の拡張工事が行われて、大型船がヤラ川へ入ってくるようになった。このころは、帆船から石炭炊きエンジンの船に変わり、1890年ころのヤラ川には煙を吐く大型船が入港していた。

 メルボルンの人口が急激に増えたため、スペンサー橋が1928年に建設され、大型船がヤラ川をさかのぼってくることはなくなった。ドックランドは、1889年にオープン。1956年にAppleton Dock、1960年にWebb DockとSwanson Dockが建設。Swanson Dockは、ヤラ川のバイパス建設の際の土砂で作られた人工島の上に作られたもので、メルボルンの最初のコンテナヤードだ。
現在のメルボルン港は、年間3500隻以上の外洋船が発着し、200万個以上のコンテナを扱うオーストラリア最大のコンテナ港。ヤラ川や、メルボルン湾の水深が浅くなっており、浚渫作業をする必要があるが、自然保護団体による反対運動が激しくなかなか進展していない。


 ドックランズの西側一帯には、コンテナヤードが広がるが、まだ広大な土地が残っており、今後は更に拡大される見込みだ。

ニューキー プロムナードには、多くのレストラン、カフェなどがならび週末には行楽客で賑わう。

南半球で一番大きいという観覧車『サザンスター』は、開業1ヶ月後の今年1月に熱波の影響で停止したまま、再開のみ通りは立っていない。


このページのトップに戻る 

inserted by FC2 system