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クリスチャン・イスラエリート教会 Christian Israelite Sanctuary

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2016年11月26日(土)
クリスチャン・イスラエリート教教会
Christian Israelite Sanctuary
フィツロイ
FITZROY
メルボルン Melbourne
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このクリスチャン・イスラエリート教会はビクトリア州に残る唯一の同教会であり、現在も同教会で使用されている。実態はほとんど一般には知られていないがメルボルンには1850年頃に入った。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/250 F10.0 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2015年1月21日10:44 板屋雅博撮影



 クリスチャン・イスラエリート教会
Christian Israelite Sanctuary complex
住所:185-193 FITZROY STREET and 12 COWELL STREET FITZROY
建築:1861年
建設請負:Thomas W. Hannaford
建材:ブルーストーン(四角に切り出された。)
(VHR) NumberH0097
正面ファサード上部には三角形のペディメントが形成されており、これは教会建築の伝統である。
教会には、礼拝堂、厨房、クリスチャン・イスラエリート教会ホールがある。フィッツロイ通りに信者の住居があり、建物はマルグレ・トウト(Malgre Tout)と呼ばれる。
教会の後ろ側の二階建ての建物はブルーストーン製であり、クリーム色の煉瓦造りアーチをした両つりのサッシ窓を持っている。教会に続く1階に2部屋があり、ダイニングルーム、事務所、女性信者のミーティングルームであった。

 クリスチャン・イスラエリート運動は、英国人ジョン・ロー(John Wroe )によって1822年に英国で始まった。ジョン・ローは、自分は古代イスラエル人の子孫であると神からの言葉を授かったと信じた。
ジョン・ローは、預言者としてイングランド、スコットランド、ヨーロッパ、北米を訪問してクリスチャン・イスラエリート運動を広めた。特にオーストラリアは5回、訪問してNWS、ビクトリア、タスマニアを訪問した。
イエス・キリストが再来する際に人々の魂が復活し、旧約聖書に記された古代イスラエルの10部族は各地へ分散して、行方不明になっていたが、、ふたたび融合するとジョン・ローは説いた。


 クリスチャン・イスラエリート信者は、完全な贖罪と肉体の不死性は、神の法と戒律に従った場合にみ得られると教えた。ジョン・ローの教えは信者に旧約聖書や新約聖書に基づいた戒律的な生活を送るように求めた。
クリスチャン・イスラエリート教では新約聖書の休息日(クリスチャン)、旧約聖書(イスラエリート)の両方の礼拝を日曜日と金曜日の夕方に行う。
聖歌を歌い、聖書を歌うのは重要な礼拝である。
クリスチャン・イスラエリート信者は、食べ物に厳格な規律があり、菜食主義が奨励される。

神によって作られた自然のものを写真、絵を描くことなどで撮影したり描写したりすることは、教会の内部では禁じられている。

 最初のクリスチャン・イスラエリート教会は1850年から51年にジーロンに建設されたが、1918年に解体された。

クリスチャン・イスラエリート教会のホールは、1939年に建築家W. H. Merrittのモダンスタイルのデザインで建築された。ホールは演劇や音楽コンサート、コーラスなどのパフォーマンスや宴席、教会のイベントに使用された。
同教会の建物は、初期のプロテスタント教会のシンプルで飾らない特徴を持っている。
閉ざされた窓と屋根から採光を採る方式はクリスチャン・イスラエリート教会建築の特徴であり、ノアの方舟をシンボルとしている。


  教会に隣接するホールは建築家 W.H. Merrittによるモダンスタイルによるホール建築の傑作である
W.H. Merrittは、両大戦期( Interwar)メルボルンで多くの作品を残している。

Belvedere Flats、セントキルダ エスプラネード通り
ベルベデア The Belvedere

Christian Israelite Church (公式web)

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