シティ案内

今日の一枚へ

フィッツロイトップ

フィッツロイ エンジンハウス Fitzroy Engine House

メルボルン百景トップ

ビクトリア歴史クラブ

Fitzroy Cable Tram Engine House VHD

Melbourne cable tramway system

 メルボルンの乗り物歴史

2021年7月22日(木)
ニコルソン通り エンジンハウス responsive版
Nicholson Street Cable Tram Engine House
ニコルソン通りとゲートルード通りの交差点
Nicholson Street and Gertrude Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

フィッツロイ・ケーブルトラム・エンジンハウスは、その後、ペンフォールドワイン社(Penfolds Wines Pty Ltd )の本社及び店舗(81-89 Victoria Parade)として使用された。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/1250 F7.1 ISO感度 200 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月15日18:12 板屋雅博撮影

 メルボルンのトラムシステムは、アメリカ人の起業家フランシス・ボードマン・クラップ(Francis Boardman Clapp)が大きく貢献している。クラップは、最初はゴールドラッシュを目指してメルボルンへやってきたが、メルボルンのトラム事業で成功した。クラップとメルボルントラム軌道列車会社(Melbourne Tramway and Omnibus Company)以外にも当時トラムを運営する会社があった。クリフトンヒル-ノースコットとプレストントラム軌道会社(Clifton Hill to Northcote and Preston Tramway Company)であった。


 C.H.N.P.T.C社は、最初の経営時代からクリフトンヒル線が破城状態であった。1887年に操業を開始したが、クリフトンヒル線は、複合的な各種の借金状態に陥った。各種の欠陥がありながら、クリフトンヒルトラム線は、1890年に操業を開始して1940年に停止するまで、メルボルンの他のケーブルトラム路線よりも長く経営を続けた。1940年にケーブルトラム線は、電気式トラムに転換された。



 メルボルンのケーブルトラムは、1885年に操業を開始して、130年の記念した。
C.H.N.P.T.C.の崩壊の主な原因は、現金保有能力の無さにあった。C.H.N.P.T.C.の競争相手のメルボルントラム軌道鉄道会社は、1867年に資金管理会社を設立し、19世紀後半の不動産ブームの崩壊による経済危機を乗り越えた。C.H.N.P.T.C.は、ブームの最盛期に不動産に乗り出したが、ノースコット煉瓦会社(Northcote Brickworks)の利潤とメンバー会社への工場への銀行融資のような投資参加メンバーの個々の資産に頼っていた。C.H.N.P.T.Cは、English, Scottish & Australian Chartered Bankから巨額融資を受けたが、早晩、巨額の損を計上した。


 ニコルソン通りとゲートルード通りの交差点に建つこの優雅な建物は、メルボルンが誇る世界最大のケーブルトラムシステムの軌道ケーブルを駆動するエンジンハウスであった。高価な鋼鉄製ケーブルを毎年膨大な量を輸入した。マーベラス・メルボルンを象徴する建物である。フィッツロイ・エンジンハウスは、メルボルン・ケーブルトラム公社(Melbourne Tramway Trust)によって1886−1887年に建設され、メルボルン・トラムウェイ・オムニバス会社(Melbourne Tramway and Omnibus Company.)に貸し出された。


 設計は、公社社員のアレキサンダー・ダビッドソ(Alexander Davidson)ン。建築は、Martin and Peacock社で費用は11,137ポンド。この建物は、公社用としては全部で12か所あったエンジンハウスの三番目に建てられ、最大クラスの大きなものであった。11箇所は公社が建築し、公社以外の独立系では、民営のノースケット(Northcote)にもう一か所があった。ニコルソンエンジンハウスでは3本のケーブルを駆動していた。最も長いケーブルは、約23880フィート(7.3km)。
ケーブルトラムの時代が終わる1940年10月26日、最後まで駆動を続けたエンジンハウスでもあった。エンジンハウスは、メルボルンの市内輸送システムの重要な役割を果たした。


 エンジンハウスは、メルボルンの交通の歴史の中で動力を使用した機械的なパワーが馬が生み出す馬力を上回った点と、郊外への都市化の進展への貢献の点でシンボルとなっている。ニコルソンとゲートルード通りの交差点からシティの重要拠点へとつなぎフィッツロイの発展に寄与した。ニコルソン通りエンジンハウスは、最大クラスのエンジンハウスで3本のケーブルを駆動し、最長のケーブルは、23880フィートであった。残存する6箇所のエンジンハウスの中で最も完全な建物である。



 MMTB building
フィッツロイ エンジンハウス
Fitzroy Engine House
住所:46-48 NICHOLSON STREET FITZROY
建築年:1886年
建築用途:交通、ステーション
現在の用途:使用されていない。
建築家:Alexander Davidson
建築期:ビクトリアン
建築様式:ビクトリア調イタリア様式

主な特徴
窓枠や支持材がメルボルンのブルーストーンで出来ている。両面のファサードは、ふたつの色彩を持つ明るい赤色のレンガで構成されている。

Walking Melbourne


このページのトップへ

inserted by FC2 system