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アングリス家畜橋 Angliss Stock Bridge リンチ橋 Lynch's Bridge

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2017年3月31日(金)
アングリス家畜橋 Angliss Stock Bridge
ニューマーケットとフッツクレイ
Newmarket & Footscray
マリビノン川 Maribyrnong River
メルボルン Melbourne
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ニューマーケットにはかつて巨大な家畜市場があった。マリビノン川をはさんで対岸のフッツクレイにウィリアム・アングリスが設立したアングリス食肉工場があり、毎日アングリス家畜橋を渡って多くの牛や羊が対岸へ渡っていった。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞りF8.0 1/125秒 ISO感度 100 露出補正 +1/3 オートJPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM  2017年1月19日9:16 板屋雅博撮影

 この橋は、当初は、パント道路の近くでヤラ川を超える歩道橋として建設されたが、1941年にこの地に移設されたものである。ニューマーケット地区にあった家畜市場からマリビノン川を渡ったフッツクレイ側にあったアングリス肉処理場へ牛や羊などの家畜を移動させる為に使用された。それ以前は、近くにあるリンチ橋(Lynch's Bridge)を使用してメルボルン市屠殺場からアングリス食肉工場へ運んでいた。
1850年頃のメルボルンの初期の頃、地方都市からメルボルンへ向かう主要道路は、多数の牛が歩いてゆけるほどの十分な広さを持たせていた。また牡牛の一群が旋回できるサークルを持っていた。牛追い人が家畜が生きた状態で毎日500群もの群れを運んでいた。牛追い人は、ひとりで50匹もの牧羊犬を使って牛や羊の群れを道路にそって移動させていた。時には野犬や他の動物が押し入ってきて、道沿いの土地に家畜たちが迷いこんだりした。

 フリンダース島のようなビクトリアの各地から委託された家畜たちは帆船で輸送され、フッツクレイやウェイリアムズタウンなどの港で降ろされ、ケンジントンを経由して家畜市場へ生きたまま運ばれた。1950年代に至るまで牛や羊、また初期のころは豚もニューマーケットの家畜市場へ主要道路や生活道路を使って運ばれていた。その後、時代に連れて牛追い輸送から鉄道輸送に変わってきた。1960年代以前は、鉄道で輸送されてきた家畜は、ニューマーケット鉄道駅の支線で降ろされた後は、やはり牛追い人によってニューマーケット通りやアスコットベール通りの家畜市場へ移動された。1950年代以降は、家畜の半数はトラック輸送に変わり、1980年代からは全てトラック輸送に変わった。家畜が道路を渡るときには、赤と青の旗や、牧羊犬、馬、集荷用の棒などが家畜をコントロールするために使われた。

 羊は、マックラケン通り(McCracken)の反対側のマーケット通りで降ろされ、メインレーンのヤードに入れられた。牛追い人は、牛や羊をレースコース道路とスミスフィールドの角にあったゲートを通して、メインレーン隣の家畜用囲いに追い込んだ。 市場での販売が終った後で牛追い人は、家畜たちをブラックゲートへと追いやった。一年のピークの時期には30万頭ほどの牛、羊が一日に運ばれた。ニューマーケットの家畜市場は複合化して巨大化していった。フッツクレイ側の旧アングリス食肉工場からマリビノン川を越えて家畜市場やレースコースまで広がった。1911年にエプソム道路の地下通路が作られ、ブラックゲートとして知られた。エプソム道路から地下通路の真上を越える陸橋がジョンモナッシュの会社であるReinforced Concrete & Monier Pipe Construction Companyによって作られた。ストックブリッジは、1941年に作られた。リベット打ち鋼鉄製トラス構造でパントロードのヤラ川に架けられた橋であったが、現在のパント道路橋が1938年に作られた為にこの地に移送されてきた。

 アングリス食肉工場(Angliss Meatworks)は、1905年にサー・ウィリアム・アングリスによって設立された。メルボルン市屠殺場やニューマーケット家畜市場からマリビノン川を挟んで対岸にあり、ウィリアムズタウンには鉄道輸送が可能であり、郊外都市には道路での輸送が可能な便利な場所であった。帝国冷凍会社(mperial Freezing Works)は、メルボルン最大の高度化食肉工場、副製品生産工場であり、多数の熟練工や季節労働者を雇用していた。


 1934年に巨大化したアングリス社は、ビクトリア支社を英国の会社ベストレイ社(Vestrelys)に売却した。ベストレイ社は、肉処理にチェインシステムという合理的な方法を持ち込んで、賃金の高い熟練工を解雇していった。労働組合は、激しく抵抗して一部は暴力的なまでに発展して、流血沙汰のロックアウトやストライキとなった。アングリス社は、地域経済の重要な役割を果たし、特に女性従業員が有名であった。しかし1970年代には次第に経営が傾き、工場は1977年に閉鎖された。最後に残った工場の象徴であった煙突も1985年に解体された。工場の跡地であるシーラフスクエアは、現在、民間住宅や公共の建物が建っているが、この場所は、長期間、アングリス食肉工場労働組合の書記長でフッツクレイの人々に愛されたジョージ・シーラフを記念した場所である。


 
Kensington Historical Industries Walk

Newmarket Saleyards Timeline

Angliss Stock bridge

Angliss Meatworks

Maribyrnong River Heritage Booklet

angliss stock crossing bridge

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