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染井吉野 2008

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2008年9月1日(月)
染井吉野 2008
マクロード Macleod
バンドゥーラ Bundoora
メルボルン Melbourne
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このところ週末は曇り又は雨で月曜日から快晴が続いています。
今朝も、メルボルンは快晴の月曜日となりました。午後からは雲が出始めて、夕方にはすっかり曇っていました。

昨年の今日2007年9月1日(ニュージーランド フェスティバル

 桜は、日本、韓国、台湾、中国などアジアが原産の花で、200以上の品種があります。世界の国々の中で、日本で最も好まれています。平安時代から宮廷、文化人の間で好まれるようになり、その後、一般にも広がりました。
平安時代以前は、山桜、八重咲きの桜など原生種が主な桜でしたが、次第に日本人の好みによりシンプルな桜が好まれるようになりました。
室町、鎌倉時代から交配が進められ現在の多種多様の桜が全国に広まっています。日本以外でもアメリカ、カナダ、オーストラリア、中南米などで見られますが、ほとんどは日本人が持ち込み移植、寄贈したものと考えられます。

  桜は、最盛期における花が見事なこと、満開のあとは、わずかな期間で散ってしまうことなどから、日本武士の気質にあうものとして特に好まれました。

現在の日本の主流の桜は、ソメイヨシノです。これは奈良県中央部の吉野(世界遺産)のヤマザクラを江戸の染井で交配改良した品種で、江戸末期に開発された花です。 1800年ころ、世界最大の都市であった江戸では膨大な量の植木花卉の消費がありました。それを支えていたのが染井村(現在の巣鴨)から駒込にかけての広大な土地で販売用の園芸を栽培していた農家です。
世界最大の産業用園芸供給基地と言えます。
当時の英国や、ヨーロッパがクック船長や多くの探検家をオーストラリアや世界中に派遣するほど植物採集が盛んでしたが、日本もそれ以上に園芸が盛んだったのです。
文化の度合を園芸を基準にするならば、江戸は、まさしく世界のトップを走っていました。
世界の反対側からアジアへ植物採集をひとつの目的としてやってきた探検家は江戸に来て驚嘆したのです。

  染井吉野が日本中に広まったのは、明治になってからです。明治政府は、学制は、フランス式を、兵制では、海軍はイギリス式、陸軍はドイツ式(最初はフランス式)を採用します。
いずれも4月に一斉にスタートしました。
このため、4月の初旬に全国で満開を迎える染井吉野が爆発的に人気となり、全国の都道府県の学校や軍隊や役所で採用されました。
当時は、新品種登録などの制度がなく、売り出し当初は、品種名もありませんでした。この品種が染井吉野と命名されたのは、1900年になってからのことです。


 園芸に限らず、絵画、演劇などの文化のレベルから考えると、江戸文化こそヨーロッパが輸入すべきものでした。
戦争技術に進んだヨーロッパを先進国と誤解したために、平和国家江戸日本が戦争の悲劇に向こうことになったのです。

バンドゥーラの満開の桜 2007

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