シティ案内

今日の一枚へ戻る

ノースメルボルントップ

リトアニアハウス Lithuanian House

メルボルン百景トップ


2007年8月2日(木)
リトアニアハウス Lithuanian House
エロル通り Errol Street
ノースメンルボルン North Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

ノースメルボルンは、移民の町。特に東ヨーロッパの国々の人々が多く住んでいる。カトリック教会、ギリシャ正教会、ロシア正教会なども多く独特の雰囲気がある。
画像は、リトアニアハウスでのテレビ番組の撮影風景。

昨年の今日2006年8月2日(Koko Black)

 ノースメルボルンの町並み。
リトアニアからの移民は、1920年代から1930年代にかけて始まる。第一次世界大戦の難民が主だ。1945年の第二次大戦後に共産主義ソ連から逃れてきたユダヤ系のリトアニア人が多く豪州に渡ってきている。1947年から1952年にかけて多くの難民が移民してきた。
豪州全体で16、000名(豪州生まれは、4000名)、ビクトリア州では5000名(豪州生まれは1300名)。

ノースメルボルン公共図書館

リトアニア共和国(Republic of Lithuania )は、バルト海に面したバルト3国のひとつ。北は、ラトビア、東はベラルーシ、南はポーランド、南西はロシアに面している。中世からキリスト教国で、リトアニア大公国、16世紀にはポーランドリトアニア王国となった。しかし1795年の第三次ポーランド分割により分割されロシア帝国領土となる。ポーランドの部分は、オーストリア、プロシャに分割された。ロシア革命後の1918年にロシアから独立してリトアニア王国を建国した。

 しかし1940年には、ソビエトユニオンにより再度、併合された。更に翌年にはナチスドイツがリトアニアを占領。ドイツ占領下でリトアニアに住むユダヤ人の91%にあたる190、000人がナチスドイツに虐殺された。日本領事館の杉原千畝総領事により多くのユダヤ人が救われている。

Lithuanian House
50 Errol St
North Melbourne, 3051, Victoria
Australia
(03) 9328-1560

 タウンホールホテル Townhall Hotel
33 Errol Street, North Melbourne
Tel. 9328 1983
Melbourne Pub

いつも超満員の人気のパブ。地元の大人が多い。

Australia Lithuanian Youth Association

1944年のソ連軍がリトアニアへ侵攻しヤルタ・ポツダム会談での米英ソ3国の決定により、リトアニアは、ソ連に併合された。ソ連への抵抗活動により1940年から1953年までに人口の3割を失ったと言われている。豪州への移民が増えたのもこのころ。
1980年代後半にソ連のペレストロイカ運動により、独立運動が盛んになり1991年にソ連から独立を達成した。

Litabi



このページのトップへ

inserted by FC2 system