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セントマリー教会(アングリカン)

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2008年12月7日(日)
セントマリー教会(アングリカン)
St Mary'sAnglican Church
ノースメルボルン North Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今日は、雲は多少はありましたが、いい天気となりました。気温は、かなり下がって20度以下で肌寒い気温でした。

昨年の今日 2007年12月7日(白亜の舞ドックランズ)

Canon EOS 40D シャッター速度 1/160 秒  絞り数値 F10 評価測光 ISO感度 100 画質圧縮率 RAW
レンズ: EF17-85mm f/4-5.6 IS USM

今日の為替レート:1A$=60.11円 

ビクトリアマーケットの前のビクトリア通りを西に歩くと登り坂になっていきます。
登り坂を超えるとノースメルボルンの商店街になります。
のぼり坂の頂上の左側にセントマリー教会があります。

セントマリー教会は、ビクトリア植民地が1851年に成立し、ゴールドラッシュが始まった2年後の1853年にこの場所に作られました。ゴールドラッシュにより人口が数年で10倍の30万人に膨れ上がった時期です。当時、ノースメルボルンは、メルボルンの郊外で草原が広がっていました。そこの移住者のための町作りが始まりました。特に北部のベンディゴやバララットなどの金鉱山への向かう金鉱夫や金鉱山で使う物資がたくさん集まってきました。工務店、商店やホテルなどが次々と開かれました。

当初は、日曜日の礼拝は、屋外で行われましたが、簡単な木造トタン貼りの仮教会が建設されました。日曜日の礼拝以外の平日には子供たちの学校として使われました。決まった名称は、ありませんでしたが、あだ名は、『オタンダ人のオーブン』と云われました。トタン屋根のため、夏場は、極端に暑くなったからです。本格的な木造の教会が建設され、セントマリー教会と名付けられ1856年8月15日にオープンしました。
セントマリーの名前を持つ教会としてはビクトリア植民地では最初の教会です。現在の石材を使った教会は、1858年10月に建築が始まりました。完成には5年を要しました。
建築年:1858−1860
建築期:ビクトリアン
建築家:Lord Tayler
建築様式:ゴシックリバイバル
Location:
163 Howard Street NORTH MELBOURNE

 当初の設計では、遥かに大掛かりで壮大な設計になっていました。しかしゴールドラッシュが去った後は、ノースメルボルンは、低所得労働者や、移民が多く住む地域となっていきました。メルボルンの西部、北部から家畜がビクトリアマーケットを目がけて入ってくる牧畜、畜産業の町でした。富裕層がほとんど住んでおらず、教会の建設資金も十分にはあつまりませんでした。1900年代に入って、セントマリー教会は、ノースメルボルンの貧しい人々を助ける役割を担っていました。
ノースメルボルンに移民してくる多くのイタリア人、マルタ人は全てカトリックの信者であり、英国系アングリカンのセントマリーの収入は更に厳しいものになっていました。

 セントマリー教会は、ナショナルトラストとビクトリア州遺産に指定されています。

ナショナルトラスト

VHR−0010

Wedding Victoria Com

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