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ノースメルボルン

ガス供給工場とポンプハウス 

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2014年11月30日(日) 
都市ガス供給調整工場 Gas Regulating House
ポンプハウス Pump House 
メルボルンガス会社
Metropolitan Gas Company
ノースメルボルン North Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map
 
1850から1900年にかけてメルボルンや世界では電気がまだ普及していなかった。その時代にエネルギー源として活躍したのは石炭ガスであった。ノースメルボルンに石炭ガスの供給基地があった。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 7.1 1/500秒 ISO感度100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2014年1月17日 17:06

この工場は1887年にメトロポリタンガス会社(MCG)によって建設されたノースメルボルン都市ガス生産供給工場(North Melbourne Outstation)で、100年以上に渡って年間3百万立法フィートのガスをメルボルン市内に供給を続けた。ウェストメルボルンガス発生工場で生産されたガスをメルボルンへ供給する巨大なネットワークの主要施設であった。ノースメルボルン工場からガスはフィッツロイやエッセンドンなどメルボルンの北部、北西部に供給された。

Onmydoorstep

ガスホールダーなどの大型設備もあり広大な敷地であったが、現在残っているのはガスの供包摂給量を調節するガスバルブハウス工場のみである。ビクトリア州遺産(H1731)として登録されている。1887年MCGはこの地に巨大なガスホールダーと工場、管理棟の建設を開始した。それまでのガスホールダーの3倍の巨大さでウェストメルボルンのガス発生工場で生産されたガスをパイプラインでMCGへ供給され圧力をかけてガスを貯蓄する近代的な貯蔵タンクである。ガスは調整バルブを通して流量を調整してMCGから供給される。調整バルブは調整バルブ工場に設置してあり、敷地の北東部に設置されたボイラーで蒸気を発生させ、そのパワーでバルブの開閉を行った。高い性能を誇り、1940年代までこの工場はほとんど当初の建設状態のままで使用された。その後、ボイラールームはメンテナンス室として使用され、工場設備は改修された。


 MCGは機器類の範囲を拡張するため、にノースメルボルン設備機器工場(North Melbourne Outstation Appliance Store)が1951年に建設した。 ガスホールダーは1957年に使用停止となり、1986年に解体された。天然ガスの供給拠点としてこの工場は継続して使用され、そのため新しい機器類がガス調整工場に設置された。1990年代後半にこの工場は使用停止となった。



メルボルンで最初に都市ガスを生産し、供給したのはメルボルンガス&石炭会社でウェストメルボルンに1854年に設立された。ウェストメルボルンはヤラ川に接しており、ヤラ川を通して石炭を入手できたのは理由である。最初は市内のガス灯などへの供給が主であった。1860年代に入ると家庭や工場、ケーブルトラムなどの需要が急激に増加し、ふたつのガス会社が設立された。ひとつはコリンウッド、フッツロイガス&石炭会社(Collingwood, Fitzroy and Fitzroy and District Gas Company)とサウスメルボルンガス会社(South Melbourne Gas Company)である。3つのガス会社の供給区域は一部で重なっており、値引き競争などが激しくなったために1878年1月1日付けでメトロポリタンガス会社法(Metropolitan Gas Company Act)が制定され、3つの会社が合併して、独占企業メトロポリタンガス会社(MGC)が設立された。
英国でも1860年にメトロポリタンガス法が成立しており参考にしたと見られる。

1870年代にメルボルンで普及した家庭用ガス器具の数々。日本では明治政府が出来たのは1868年のこと。1873年に銀座でガス灯が灯ったが、ガスの供給、配管などが難しい課題が多く、日本ではほとんど普及せず、1900年代の電気の普及までは近代化はされなかった。明治初期である1870年代にメルボルン都市ガスが普及し、家庭用ガス製品が普及していたのは驚くべき事実である。

メトロポリタンガス会社による都市ガスの供給は、メルボルンの中心地であるエリザベス通りとバーク通りの交差点にあるGPO(メルボルン郵便局)から半径8マイル(約9km)と広範囲に渡るもので、主要な地区を網羅していた。
1870年代はガス供給が劇的に進んだ時代であった。MGCはサウスメルボルンとノースメルボルンに土地を購入し、ガスの生産供給基地を建設した。石炭ガスは1850年代は灯火用に利用されたが、次々とガスコンロ、ガスストーブやガスアイロンなど家庭用のガス器具が発明、開発された。電気がない時代であったが、石炭ガスを利用した産業革命がついに一般家庭にまで浸透した時代であった。ガス販売の増加を目指して、MGCは1880年にガス調理器(ガスクッカー)を販売している。当時はNSW植民地から高品質の石炭を入手していたが、安定供給のため、ビクトリア・ラトローブバレーの低品質褐炭の使用検討を始めた。新鉱山の開発はMCGにとっては過大な投資であり、簡単には進展しなかった。


 1951年にビクトリア州のガス供給はガス&燃料会社がMCGから引き継いだ。ビクトリア州の最初の褐炭は、それから5年後の1956年にモーウェル(Morwell)鉱山で始まり、ビクトリアガス会社でも褐炭の使用が始まった。しかし1960年代に入るとビクトリア州とタスマニア島の間のバス海峡で多量の天然ガスの埋蔵量が確認され、褐炭の使用は短い期間に変わった。
1970年までに各地の都市ガス調整工場は天然ガス用に変更された。その後、直接天然ガスを使用できるようになったために、もはや石炭から都市ガスを生成する必要がなくなり、必然的に全てのビクトリアにおける石炭ガス発生工場は全て閉鎖された。
現在、ガス調整工場は現在、個人の居宅として使用されている。ガスホールダーの跡地も住宅地となっている。

Pump House Apartment, 60 Macaulay Road, North Melbourne

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