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今日の一枚

ポートメルボルン

ウェディング メルボルン

ラグーン桟橋 Lagoon Pier

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2007年8月20日(月)
結婚式風景
ラグーン桟橋 Lagoon Pier
ポートメルボルン Port Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

今日は早朝から抜けるような素晴らしいメルボルン晴れの快晴。気温も16度まで上昇。公園や住宅街では1週間ほど遅れてやっと桜が咲き始めた。今週末には満開になる。

お二人の思いでの姿を永遠に!!。
メルボルン・ウェディング・フォト


ラグーン桟橋。タスマニア号の停泊地であるステーション桟橋から東へ800mほど行った場所。
メルボルンの定住開始である1835年から遡ること32年前の1803年に英国海軍のCharles Grimesがメルボルンの海であるポートフィリップ湾を探検、調査。Charles Grimeは、この辺りまで調査しており、海岸線に沿って幅1マイル(1.6km)奥行き1/4マイル(400m)のラグーン(岩礁に囲まれた海域)があると記している。詳しく調査しているが、船乗りに取って測量とは、船の最大の難敵である岩礁の調査にほかならない。1835年のメルボルン定住開始には、ラグーンは12エーカー(5ha)の広さがあった。

1890年頃には、この辺りには工場がたくさんあり、多数の低賃金の労働者や家族が住んでいた。Sandridgeの海岸にヨーロッパから押し寄せる移民が若い労働者を供給していた。このラグーン桟橋も当時は現在の2倍の大きさがあり、ステーションピアの補助的な役割を果たしていた。また漁師の漁船も停泊していた。人口の増加と共に、ラグーンには産業廃棄物、生活廃棄物が蓄積して見るも無残な状態になった。その後、浚渫や埋め立てが繰り返されて1900年頃にはラグーンは完全に姿を消した。現在は、ビーチ通りの内陸部となっている。

Sandridge Bay Towers(3つの中の左側の建物)
1854年9月12日にステーションピアが開かれると大量の物資がヨーロッパやアジア、豪州各地から運ばれてきた。その物資を原料とした各種の産業がこのポートメルボルンからサウスメルボルンにかけて発達した。現在、この辺りに残っている施設は、たくさんある。現在は、博物館、公園、レストラン、カフェ、アパートとなっている。
ガス工場、巨大なガスタンク、石炭貯蔵倉庫、パン・ケーキ工場などがあった。
1920年にはガスタンクの一基が爆発して100km離れたハーストブリッジで聞こえた。
Sandridge Bay Towersは、昔は、Starch (デンプン)精製工場。煙突も残っている。現在は、概観は残したままで、近代的なアパートになっている。

いつもは釣りの人が使うだけの小さな桟橋、メルボルンの重要な歴史の証人だ。

ラグーン桟橋の歴史(pdf)

レストラン、カフェなど多数あり。
海岸には、いくつかの桟橋があるが、ラグーン桟橋も撮影スポットとしては最適。
ふだんは、数人の釣り人がいるだけの静かなたたずまい。
ステーション・ピアやタスマニア号などもすぐ近くに見える。
撮影許可:不要。


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