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モーレーの石炭倉庫 Morley's Coal Depot

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2014年6月8日(日)
モーレーの石炭倉庫
Morley's Coal Depot
ポートメルボルン Port Melbourne
メルボルン Melbourne 
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メルボルン湾岸を走るビーチロードとシティロードが交差する場所にクラシカルな建物がある。現在はスポーツジムとして使われているが、建物中央に「Morley's Coal Depot」と刻印がある。電気が発明されていないメルボルンの初期の時代に唯一のエネルギー源であった石炭を保管した倉庫である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 11.0 1/200秒 ISO感度200 露出補正 オート JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2014年1月12日 17:36


 モーレーの石炭倉庫は、メルボルンの著名な企業家 ウィリアム・ジョン・クラーク(William John Clarke) とウィリアム・モーレー(William Morley)が出資して1872年に建設された。メルボルン初期の時代の石炭産業と石炭ガス産業に貢献した。しかしながら残念なことに倉庫であったことや歴史的な資料が欠如によりまだ州遺産には登録されていない。
現在のモーレーの石炭倉庫の土地はビクトリア植民地政府からウィリアム・クラークが1872年よりある程度以前に購入した。1872年にはこの場所にはいくつかの木造の家屋が立っていた。1872年に建築家 George Browneが巨大な石造りの石炭倉庫建設の建築コンペにより一等に選ばれた。1873年1月にはレンガと石材の一部屋の建物が建てられた。


Morleys Coal Depot, 2 Bay St, Port Melbourne, VIC, Australia
  
  建物の所有者は、W J T Clarkeであり、ウィリアム・モーレーが使用していた。ウィリアム・モーレーはポートメルボルン市の著名な実業家であり、同市の初代市長であった。ウィリアム・モーレーの名前は、この建物中央2階部分に「Morley's Coal Depot」と刻印がある。ウィリアム・モーレーは、メルボルンで広範囲なビジネスを行っていた。ウィリアム・クラーク(後にサーの称号あり)は、幅広いビジネスを経営し、広大な土地をメルボルンに保有する富豪であり、一時、豪州で一番富裕な人物と評されたこともある。豪州で最初に男爵となっている。クラークは、1856年から1870年までビクトリア植民地議会の南部地区議員として活躍した。

 クラークのビジネスは主に農業ビジネスから生まれており、石炭ビジネスは中心的なものではなかった。クラークは石炭倉庫が建設された2年後に亡くなっている。メルボルンの中央部バンクプレイスにクラークが愛人と暮らした屋敷がある。ウィリアム・モーレーが亡くなった後は、未亡人のマリーアンモーレー(Mary Ann Morley)が所有し、代理人としてWilliam KidgellとJ P Hyslopの名前が残っている。

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モーレーの石炭倉庫は、タウンピア(現在のポートメルボルンヨットハーバー)から道路を隔てた便利な場所に位置している。始まったばかりのメルボルンの港湾に石炭を供給していた。メルボルンは1835年に西欧人が移民して歴史が始まる。当初の港はヤラ川沿いの地区であったが、1840年頃からポートメルボルンが港として使われるようになり港湾の整備が始まり、当時の唯一のエネルギー源であった石炭が港でも使われた。蒸気船の熱源として使用は1880年頃から。

 ウィリアム・モーレーはビクトリア植民地3番目のガス会社であり、1871年に設立されたサウスメルボルンガス会社の設立にももちろん関わっている。明確な記録はないが、モーレーの石炭倉庫は、サウスメルボルンガス会社にも石炭を供給していたと思われる。メルボルンの初期の時代である1840頃から電気の時代になる1900年代までモーレーの石炭倉庫は、石炭産業とガス産業に大きな貢献を果たした。

ポートメルボルンヨットクラブ



  モーレーの石炭倉庫の石炭がどこで産出されたものであったのかの記録はないが、ビクトリアの石炭が大量に産出され始めたのは1890年代である。それまではメルボルン南東部のウェスタンポートや南ギップスランド、北西部部のバララット近郊のラルラル( Lal Lal )などで生産されていた。メルボルンで最初に石炭ガスを使用したのはフィッツロイの鍛冶屋ジョージサウス(George South)が1844年に圧縮した石炭ガスを容器に入れて販売している。

  1856年にビクトリア最初のガス会社であるメルボルン市ガス&コークス会社ががフィッツロイとコリンウッドの道路ににガス本管を敷設し石炭ガスを供給し始めた。1860年頃石炭ガスは、当時都市化が進んでいたリッチモンド、プラーン、セントキルダ、サウスメルボルンで利用出来た。利用が進んだのはマーベラスメルボルンと云われた繁栄の時代1880年代である。
1890年頃、サウスメルボルン石炭ガス生産工場では石炭の荷揚げ設備が大幅に改善された。石炭を使用する蒸気船(coal steamers)専用の接岸バースがタウンピア桟橋に設置された。工場労働者の通勤などの為、ガス工場の埠頭側の道路にトラム路線が敷設された。1800年代にオーストラリア全体で50のガス発生工場が建設されたが、ビクトリアの2か所は地元で取れる不純物が多い褐炭を使用するが、NSWなど他の48の工場では優質な黒石炭が使用された。

 
モーレーの石炭倉庫は、1976年にStastra Page and Associates (Aust) Pty Ltd社が購入した。
建築時なのは外部のブルーストーン壁のみであり、窓やドア、屋根、入口などは再建されたものである。1980年代から復旧作業が始まり1990年代に現在の姿を取り戻した。

モーレーの石炭倉庫に関する調査
Morley's Coal Depot
Jacobs Lewis Vines, 1979. Port Melbourne Conservation Study.
Sagazio, C., 1986. Research Into Morley's Coal Depot (in National Trust FN 5216).
Pike, Douglas, ed, 1977, Australian Dictionary of Biography, vol.1.

豪州政府データベース

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