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ポートメルボルン

Wilbraham Liardet ウィブラハム・リアルデット記念碑

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2018年3月4日(日)
Wilbraham Liardet 記念碑
ポートメルボルン Port Melbourne
メルボルン Melbourne 
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メルボルンへの植民初期の時代に、ポートメルボルンを開発した英国人の話。移民船の荷物の荷揚げ方法などについて詳細がわかる話である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り6.3 1/800秒 ISO感度100 露出補正 オート JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2018年1月18日 10:03


 ウィブラハム・リアルデット(Wilbraham Frederick Evelyn Liardet )は、ポートメルボルンに最初に定住した人である。ホテル経営者で水彩画家であった。リアルデットは、1799年にロンドンのチェルシーで生まれた。リアルデットは英国海軍に入隊し、その後陸軍に転じ、1825年に中尉に昇進した。3万ポンドの遺産を得て、除隊した。1821年に従妹のカロリナと結婚し、11人の子供をもうけた。1839年11月に3週間に渡ってホブソンズ湾にWilliam Metcalfe号で滞在し、メルボルンに定住することを決めた。リアルデットが選んだ場所は、サンドリッジ海岸(現ポートメルボルン)でNSW植民地政府調査員ウィリアム・ウェッジ・ダーク(William Wedge Darke)と家族の家の近くであった。ダークは、草原を切り開いて海岸までの最初の通りを作っていた。ダークの箱舟(アーク)として知られた牛で引っ張る木製の車でキャンプしていた。ダークは、メルボルンへ戻る方向を指す目印としてさおの上に樽を巻き上げていた。ダークは、この地をサンドリッジとなずけた。
  
 リアルデットがこの地に到着した時、サンドリッジにはストーリーとデイビスのふたりの漁師だけが住人であった。ふたりはホッグスヘッド(52.5ガロン)の砂糖の大樽から作った家に住んでいた。彼らはボートを所有していた。1840年1月、到着したリアルデットは彼らにウィリアム・メットカーフ号の積み荷を荷揚げの手伝いを依頼したが、拒絶された。やむなくリアルデットは、メットカーフ号の船長からクジラ取りの船を購入して、子供たちの助けを得て、自分達家族の荷物を荷揚げした。その後、サンドリッジに到着する多くの船から郵便物の荷揚げに船を利用した。


 1840年8月頃には、リアルデットは、メルボルンに移民する為に到着する船から、日に3回の荷揚げの「郵便シャトル」便を運航した。リアルデット家族は、最初は英国から持ってきたテントに住んでいたが、直ぐに小さな小屋を建てた。1840年4月に英国の詩人リチャード・ホウィットが船への帰りの船に乗り遅れて、ふたりの知人を連れて海岸で佇んでいた。後にホウィットは、リアルデット家族との出会いをこのように書いている。
背が高い美人の女性がふたりの子供を連れてわれわれの焚き火にやってきた。片手にはポートワインのボトル、片手にはワイングラスを持っていた。「どうぞ。」リアルデットの妻のカロリナが言った。三男のヘクターがワインを差し出した。ポートワインは素晴らしい味であった。特に予期していなかったこととその礼儀に驚いた時には。「さあ子供たち。火を燃やしなさい。お父様がウィリアムズタウンから帰ってくる目印になるように。」


彼らはそれほど長く植民地メルボルンに住んでいる訳ではないが、素晴らしい人々で、自分達と9人の子供たちの為に働いている。小さな小屋に住んでいたが恥じることはなかった。

リアルデットは、お茶の木(豪州原産のフトモモ科の低木)で簡易な桟橋を作っていた。ピアホテル(The Pier Hotel)は、現在の場所にリアルデットによって1840年に作られた。その後、リアルデットの小屋の近くに酒販売免許を取ってブライトン・ピア・ホテルに名前を変えた。リアルデットは、この地区をブライトンと名付けていたが、世間ではリアルデットの海岸と呼んでいた。公的にはサンドリッジ海岸とされた。1845年にリアルデットは破産したが、ビジネスは継続していた。ホテルのライセンスは息子に1841年に引き継がれてていた。

 1850年9月にこの地区で最初の土地の売り出しがあったが、リアルデットは資金不足で購入できなかった。リアルデットが最初に建設した桟橋の一部は、1930年代まで残っていた。タスマニア総督のジョン・フランクリン(Sir John Franklin)が1840年代にピアホテルを訪問したとの記録がある。リアルデットは総督に自身が描いたメルボルンの絵を進呈している。

ウィブラハム・リアルデット作 メルボルンへの到着

'Landing at Melbourne' by Wilbraham Liardet (1840)

 この絵は、後に J. W. Lowryによって装丁され、「1843年のメルボルンのながめ」'View of Melbourne, Port Phillip 1843としてロンドンで1部1ギニーの価格で発行販売された。

リアルデットは、晩年、子供たちが住むメルボルンとNZで住み、メルボルンの歴史について40枚以上のスケッチを残している。

リアルデット・メモリアル Liardet Memorial
A.W. Grieg 1988年 豪州200年祭に際して建立


モニュメントオーストラリア 豪州伝記集

Wikipedia

豪州の捕鯨

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