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 ポートメルボルン

ポートメルボルン海岸 Port Melbourne

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2018年5月20日(日)
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Port Melbourne
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Port Melbourne
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1854年9月12日にオーストラリア初の鉄道路線メルボルンーポートメルボルン線が開業した。ゴールドラッシュでポートメルボルンに押し寄せる移民をシティへ運ぶ為に作られた。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り6.3 1/1000秒 ISO感度100 露出補正 -1/3 オート JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2018年1月18日 9:55


 メルボルン・ホブソン湾鉄道会社は、1853年1月20日にメルボルンシティからポートメルボルンまでの鉄道路線建設の為に設立された。アイルランド軌間1600mm広軌で建設された。オーストラリアの植民地の間で合意が取れて採用が決定された。同社は、オーストラリアで最初の一般旅客用鉄道であった。1854年9月12日に開業した。シドニー/パラマッタ鉄道の開業は1年後の1855年9月26日。最初のエンジニアは、William Snell Chauncyであったが仕事の出来栄えに問題があり1845年に解任された。Sir William Cubitt の甥のJames Moore C. Eが1854年3月に主任技術者に選任された。Sir William Cubittは、英国の主要な鉄道路線の技術者であった。ホブソン湾のサンドリッジに桟橋を築き、シティと桟橋間に線路を建設した。


  
 鉄道敷設作業は、1853年3月に始まった。列車は、英国に ロバート・ステファンソン社(Robert Stephenson and Company )に発注された。しかし船積みの遅れなどにより、最初の列車は、メルボルンのエンジニアリング会社のRobertson, Martin & Smith社が作った2-2-2WT 蒸気機関車に牽引された客車であった。オーストラリア最初の蒸気機関車は、10週間で2700ポンドの費用で作られた。メルボルンのテルミナス(現在のフリンダース駅)からヤラ川をサンドリッジ橋で越えてサンドリッジ駅まで4kmであった。

 路線の開業は、ビクトリアン・ゴールドラッシュの最中であった。メルボルンとビクトリアは大掛かりな社会投資を行っていた。サンドリッジ線もそのひとつであった。メルボルンターミナル駅があるフリンダース通りにはたくさんの人が詰め掛けた。チャールズホッサム第二代総督とホッサム夫人も乗り込んだ。一等列車2輌と2等列車1輌の編成であった。鉄道の時刻表と利用規則のコピーが渡された。
乗車時間は、10分間で、途中の停車駅はまだ建設されて無かった。ステーション桟橋駅では、HMSエレクトラ号(Electra)とHMSファントン号(Fantome.)の礼砲で迎えられた。

1855年3月、4台の機関車が英国から到着し、操業を開始し、30分毎にシティと海岸を交互に走った。4台は、メルボルン号、サンドリッジ号、ビクトリア号、ヤラ号であった。会社は、1857年に同社では4.8kmの新線、フリンダース駅-セントキルダ線が開業し、セントキルダ-ブライトン鉄道会社が建設したセントキルダ-ブライトン線につなげられた。ウィリアム・エルスドン(William Elsdon)が主任エンジニアに採用され、同線を設計した。エルスドンの名前はパーク通りの橋のパラペットに刻印されている。


メルボルン・ホブソンズ湾鉄道会社は、セントキルダ-ブライトン鉄道とメルボルン・近郊鉄道会社のふたつの民間鉄道会社を吸収合併した。統合会社は、the Melbourne and Hobson's Bay United Railway Company.である。同社は、1878年にビクトリア植民地政府に接収され、ビクトリア鉄道となった。1900年代になって両路線とも電化された。
両線の軌間(ゲージ)は、標準ゲージの1435mmに転換された。現在は、トラムルートの109番と96番になっている。


 
Melbourne and Hobson's Bay Railway Company

2-2-2WT 蒸気機関車

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