シティ案内

今日の一枚へ

リッチモンドトップ

エリンElim ユーラルビン Yooralbyn

メルボルン百景トップ

2014年5月25日(日)
エリン Elim 
ユーラルビン Yooralbyn
リッチモンド Richmond
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

リッチモンドの中央部にはリッチモンドヒルと呼ばれる丘がある。ここには1880年代のメルボルンが繁栄した時代の邸宅がまだ存在している。エリン邸はその中で建設当時の姿を残し、最も美しいと云われている。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/500 F5.0 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2014年1月17日10:33 板屋雅博撮影


エリン邸は、メルボルンの豪商で製造業者でもあったウィリアムハーパーがメルボルンの建築ブーム期であった1889年にシティ近郊であるリッチモンドヒルの丘の上のエリン通り(Erin Stree)に建てた邸宅。 リッチモンドはシティまで徒歩20分ほどと近く1880年代の建築ブームの際に富裕な商人や製造業者が多くの豪邸を競って建築した。エリン邸は建築当初の場所に立ち、ほとんど建築当時のままの姿を残している。また周囲のエリン邸付属の庭園も昔のままの姿であり、1800年代の豪邸の姿を彷彿させる。救世軍サルベーションアーミーがBethesda病院を購入した。

29 Erin Street Richmond, Yarra City, Victoria, Australia

Onmydoorstep

fricker

  1890年代に入り不況の時代が来た際、リッチモンドヒルに住む多数の新興富裕層にとっては厳しい時代となった。多くの富裕層は広大な土地や邸宅の一部や全部を売却したり、賃貸アパートなどとして貸し出した。富裕層が去った後、リッチモンドヒルは労働者階級の町となっていった。ユーラルビンは、1800年代後半のビクトリア期のリッチモンドやメルボルンの優雅な一面を彷彿とさせる非常に稀な遺産である。


 1903年にベセスダ病院(Bethesda Hospita)がこの邸宅で操業を開始した。ベセダス病院の人々がエリム邸宅の名前をユーラビンに変えた。ユーラビンとはモーゼがエジプトを脱出した際に古代ユダヤ人たちが露営した場所に由来している。
ベセダス病院は、富裕層を対象にした私立病院として時代の先端をゆく病院で、個室を持ち、個室の患者に特別な施術を施すなどの独特のシステムを持っていた。中層クラスの患者は、払えるだけの費用を請求され、貧民層は無償で治療を行った。この独特の方式は、1930年代の大恐慌まではうまく行った。

 1998年にエプワース病院(Epworth Hospital)がベセスダ病院を救世軍から買収し、エリム邸宅は理学療法センターとして利用された。馬小屋厩舎は室内温水プールに改築されたが、できるだけ1889年の当初の姿のままに利用されている。

エプワース病院は1920年にメソジスト教会の主導によって設立され、リッチモンドのYallcowinna邸宅と1.5エーカーの土地を購入した。エプワースの名前は、メソジスト教会の創設者ジョン・ウェーズレーの生誕地の名前に由来している。1980年にビクトリア州でエプワース法が成立し州立病院となった。エプワース病院エリム邸病棟はリッチモンドとコリンウッドの貧民層の病人たちの治療を行った。
ウィキペディア

ウィーズレー高校

このページのトップへ

inserted by FC2 system