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建築史1880-89

セントラルクラブ・ホテル CENTRAL CLUB HOTEL

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2018年3月21日(水)
セントラルクラブ・ホテル
CENTRAL CLUB HOTEL
スワン通りとコッピン通りの交差点
リッチモンド Richmond
メルボルン Melbourne
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リッチモンドのスワン通りに建ち、地区のランドマークとなっているセントラルクラブ・ホテルはメルボルンの建築ブーム期の1887年に建てられた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/640 F9.0 ISO感度 100 オート 露出補正 -2/3 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2018年1月14日18:01 板屋雅博撮影


 セントラルクラブ・ホテルは、スワン通りとコッピン通り( Coppin Street)の北西角に建っている。建設当初は、ファミリーホテルと呼ばれていた。1887年にローレンス・クレメーン(Laurence Cremean)はホテルの場所の東側で材木屋と金物店を経営していた。1887年の役所統計資料によればローレンス・クレメーンは、この更地の所有者であり、38ポンドの価値と登録されている。翌年にはローレンス・クレメーンは、250ポンドの価値がある土地と44部屋(33ベッドルーム)を持つレンガ製ホテルの所有者として登録がある。




 1889年には建物の所有者はA.ポーランド( Poland、Polland、Pollardの記述もあり。)となっている。1900年頃には、このホテルの所有者は、コッター夫人(Mrs M Cotter)であり、クレメーン・ファミリーホテルとして知られていた。1940年頃には、セントラルクラブ・ホテルと呼ばれていた。そのまま1990年代まで同じ名前であった。クレメーン家は、リッチモンドでは著名なカトリックの家族であった。一族の数名は、政治家として活躍していた。最初は、労働党(ALP Australian Labor Party)であり、1955年に労働党が分裂して以降は民主労働党 ( DLP、Democratic Labour Party)の政治家であった。
H M (Bert) Cremeanじゃ、1928年から29年のリッチモンドの市長であった。

 セントラルクラブ・ホテルは、スワン通り側ファサードは、左右非対称の設計となっている。ビクトリア時代の折衷様式(Victorian Manneris)であり、表面はセメントで化粧してある。表面化粧した石材を使った3階建ての建物でスワン通りとコッピン通りの交差点に建つ。建築様式は、イタリアンブーム期様式。交差点面は、三角形に成っており、ホテル1階部分への入り口になっている。スワン通り面のファサードは、化粧用のピラスター柱で強調されている。各階の間にはパターンを織り込んだ線状帯が配置されている。3階のピラスター柱には溝とコリント式大文字が掘ってある。スワン通り面のファサードは、3つのベイ部分に分けられている。中央ベイの2階と3階には後退したロジア(建物に沿って作られた屋根付きの柱廊 )を持っており、ロジアには2階には四角形、3階には半円形の屋根部を持った開口部があり、一対の鋳物の円柱がある。


 セントラルクラブ・ホテル
CENTRAL CLUB HOTEL
CENTRAL CLUB HOTEL
住所:291 SWAN STREET, RICHMOND
建築年:1887年
建築家:William George アメリカ人
建築様式:ブーム期イタリア様式

William Georgeは、リッチモンドの4軒やDr Lalorの自宅(293 Church Stree)を含み多数のホテルを設計している。



 
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