2010年1月07日(木)
南ア戦争記念碑
South African War Memorial
ノボテル Novotel
アルフレッド・スクエア
Alfred Square エスプラネード海岸通り Esplanade セントキルダ St Kilda メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map
今日のメルボルンは、快晴。気温は25度と快適な一日であtった。週末にかけても好天が続き30度を越す模様。
Canon EOS 40D 絞り優先AE 評価測光 絞りF11.0 1/160秒 ISO感度 100 AWB 画質圧縮率
RAW
EF-S17-85mm f/4-5.6 IS USM
セントキルダビーチのエスプラネード沿いに歩くと、セントキルダ桟橋を越えたあたりの右側が高台になっている。
一番目に目に入るのは、セントキルダの象徴のひとつエスピーことエスプラネードホテルがある。その隣にそびえているのは、ノボテル。世界的なホテルチェーンで、メルボルンにはシティとグレンウェーバリー、セントキルダの3か所がある。
ノボテル・セントキルダ
ノボテル・メルボルン
ノボテル・グレンウェイバリー
ノボテルの前は、 アルフレッド・スクエア
(Alfred Square)になっている。
ここには、南アフリカでボーア戦争記念碑がある。
住所:9 Alfred Square
建築年:1905年
建築時期:エドワーディアン
建築様式:Stripped Classical
製造様式:鋳造
デザイナー:Robert Peck
ビクトリア州遺産:VHR H1375
ナショナル・トラスト:B6901
Walking Melbourne
セントキルダ出身で、南アで戦死した7名の記念碑。
エスプラネード通り。
アフリカ大陸南端のケープタウンは、オランダが日本、アジア諸国への中継地として1652年に植民地とした。東アフリカ、中近東、インド、アジア、オーストラリアなどへの中継地となるので、スエズ運河が出来るまでは、戦略上、非常に重要な場所。英国はナポレオン戦争の勝利により、ナポレオン時代は、一時的にフランス領であったケープタウンが英国領となった。1860年頃、南アに金、ダイヤモンドが見つかると先住のオランダ人(ボーア人)を駆逐するために英国が侵略戦争を起こした。ボーア戦争と呼ばれる。1880年と、1899年の2回の戦争があり、結局、英国が勝利して南アは、英国領となる。オーストラリアは、英国の植民地であり、ケープタウンは、英国からの重要な通路にあたり、積極的に戦争に協力している。
エスプラネード通り。左側は、ノボテル。
正面は、ルナパーク。
ボーア戦争の特徴は、ボーア軍が一般人が主体の民兵であったのに対して、英国は正規軍を投入した点。英国による小国の殲滅侵略戦争であった。しかしボーア軍の頭脳的なゲリラ作戦により英国軍は、多大な被害を蒙った。最終的には英国の勝利となったものの、英国はボーア側以上の損害を出し、焦土作戦など、非人道的な戦略によって国際的に信用を落とした戦いであった。
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