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セントキルダ鉄道駅

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2014年10月5日(日)
セントキルダ鉄道駅
フィッツロイ通り Fitzroy Street
セントキルダ St Kilda
メルボルン Melbourne
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現在はトラム96番路線のセントキルダ駅はオーストラリアで2番目に古いメルボルンーセントキルダ鉄道線の終点駅であり、現存する往時の鉄道駅としてはジーロン駅、バララット駅と並び、1800年代生まれの最古の鉄道駅舎のひとつである。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF4.5 1 /400秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2014年1月12日12:59 板屋雅博 撮影

  オーストラリアで最初の鉄道路線は、フリンダース駅ーステーションピア線で1854年9月12日に開設された。メルボルンーセントキルダ線は、2番目の路線として1857年5月13日に開設された。メルボルンは1835年に移民が開始されたが、直ぐにセントキルダ海岸がリゾート地として人気を集めた。当初は資産家たちのリゾート地としてセントキルダ通りを通って馬車で通ったが、多くの人々がリゾート地に向かうためにメルボルン・ホブソンズベイ鉄道会社が作られ、メルボルンーセントキルダ線が建設された。1856年11月3日に入札が実施され建設会社が決められ、この辺りは湿地帯であり、多くの土木工事が必要であり、セントキルダに建物が建てられた。
駅舎はイタリアンスタイルにデザインされ、表面は装飾レンガで化粧された。駅舎の南西入り口は半円形に造られた。



 セントキルダ駅のプラットフォームはひとつのみであった。駅舎の屋根は鉄製の支柱と木製の支柱で支えられた。カンタベリー道路側はブルーストーンが使われた。蒸気機関エンジンの補修用車庫と客車用駅舎が1856年に建設された。
1859年には5000ポンドの資金でセントキルダ・ブライトン鉄道会社が作られ、セントキルダからウィンザーまで路線が拡張された。更に1861年にはブライトンまで延長され、現在のサンドリンガム線になっている。この頃はまだシティからリッチモンド経由でウィンザーへ直接には行けず、セントキルダ経由であった。リッチモンドーウィンザー線は1867年に建設された。民間鉄道の運営であったが、1878年にビクトリア植民地政府が運営するビクトリア鉄道に吸収された。

左端はジョージホテル

 1888年にケーブルトラムがブライトンまで営業を開始すると鉄道の顧客は23%も減少した。1891年にはウィンザーとエスプラネード通りまでケーブルトラムは延長された。ビクトリア鉄道は電気式トラムを1906年にスタートした。セントキルダ線は1919年に電化された。セントキルダ駅はメルボルンフリンダース駅に続いてビクトリアでは2番目に繁栄した。当時のセントキルダ駅の設備は、引っ込み線、列車旋回施設、蒸気機関燃料用石炭貯蔵庫、蒸気機関整備工場などであった。設備は1928年に廃止された。セントキルダ駅のユニークな特徴は、鉄道とトラム鉄道の接続にあった。
1928年10月21日に自動信号機がセントキルダに設置された。
セントキルダからブライトンへの鉄道路線は1959年に廃止されバス路線となった。駅に設置されていた郵便局や旅客施設も1969年から1972年に廃止された。

 1980年代に州政府はコスト削減の為、ポートメルボルン線とセントキルダ線などいくつかの鉄道路線の廃止と軽量鉄道への転換を決めた。
最後の鉄道列車は1987年11月21日であった。
セントキルダ駅舎を残して商業用途など他の目的で使う事が決定された。1989年12月4日に火災により大きな損害を受けたが構造には問題がなかった。ナショナルトラストなどは反対運動を行ったが2000年前後にデベロッパーによって大幅な改造が加えられた。メトロポルアパートメントが2002年に駅のすぐ前に建設された。駅舎はいくつかの小売店やカフェに転用された。古い鋳物製のプラットフォームの時計は今も昔のまま残っており建物の過去を物語っている。

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