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Bistro Tiamo

2006年10月9日(月)へ
19時20分

ビストロ ティアモ
Bistro Tiamo
ライゴン通り Lygon Street
Carlton
Melway 2B−G7
カールトンの地図 Google Map

今日はまったく真冬に逆戻りの寒い一日でした。昼間でも18℃ほどにしか気温が上がらず、夕方からは10℃くらいに下がりました。フリース、セーター、手袋が欲しいほどでした。
メルボルンでは当日になってみないと本当の気温は判りません。いかに暑く見えても、フリースは欠かせません。

昨日までの画像
↓この下に追加画像があります。

Bistro TiamoTiamo Bistro Coffee Restaurant
ティアモは、手前側の『1』と向こう側の『2』の2軒が並んであります。
『1』の店内は、古いだけにかなり味があります。
店の外のテーブルは、どちらも同じです。
この店はライゴン通りの中でも人気No1ではないでしょうか。夕方6時半には早くも数人の順番待ちが出来ています。今日は真冬の気温に戻ったために頭上のガスバーナーに再点火です。
まだ当分は、片付けられません。

Bistro Tiamo店の中は、カウンター席だけです。常連さん専用の席です。
こんな店の常連になりたいですね。
比較的ひまな平日の午前中に来て、本場イタリア仕込のエスプレッソをゆっくり味わいたいものです。
しかしこの時間帯は、たとえ月曜日でも超満員なので店の中にも次々とお客さんが出入りしています。


Bistro Tiamo人気の秘密は、メニューを見てください。本格的な家庭イタリア料理が格安なのです。
ひとり$20でも大丈夫。しかもワインとビールも持込可能です。

Lygon Street Com
Bistro Tiamo
メニュー
Tiamo 2 メニュー
地図

303 Lygon St., Carlton
Ph 9347 5759


Bistro Tiamoイタリア移民の豪州での歴史は非常に古くからあります。
Sir James Cook 船長がその旗艦『Endeavour』号で1770年(老中、田沼意次の時代)に豪州を発見した時に、James MatraとAntonio Pontoの2名が船員として乗っています。
また豪州への最初の移民(囚人)船の中にも、囚人Giuseppe Tuzoの名前があります。(移民博物館より)
メルボルンのゴールドラッシュ時代(1851年ー60年 大老井伊直弼の頃)にシドニーからまた直接イタリアから数百名がやってきて多くがこの地、カールトンなどに住み始めたのです。

Bistro Tiamo1900年代に入り更に多くのイタリア人が移民してくるようになりましたが、多くはシチリア、ナポリなど主に南部の地方から経済的な理由、即ち本国では食っていけないために、豪州へ逃れてきたのです。現在のライゴン通りの多くのレストランがイタリア南部地方の料理であるのもこのためです。
il Gusotのひょうきんなオーナーもナポリの出身です。1925年(大正14年)に移民法が出来ると国別に人数規制が引かれ、イタリア移民の数は大幅に制限されました。
第二次大戦(1945年)後に、イタリア移民の数は激増しました。主にイタリア南部の各地からやってきて農業に従事しました。ほとんどが若い男性です。彼らはある程度、成功すると本国から女性を一種の見合い結婚で呼び寄せました。有名なProxy Marriages (代理結婚)です。


Bistro Tiamoイタリア移民も非常に結束が強く本国のしきたりを守るといわれています。一般に思われているイタリア人気質とは実際には違い、仕事に熱心で勤勉なのがイタリア移民です。一方で人生を楽しむのもイタリア人です。エスプレッソマシンを豪州で最初に持ち込んだのがこのカールトン、ライゴン通りです。またレストランの外で食べるオープン方式を、やはりイタリア式で流行らせたのも、この地、ライゴン通りと言われています。
この窓の向こうのお姉さんなどの、Tiamoで働くイタリア移民の子孫たちを見ているとそれが事実だとよくわかります。
イタリア移民は、メルボルンの風景に欠かせない人々です。



Bistro Tiamo今日は本当に寒い冬の夜になりそうです。
でもライゴン通りへ行ってワインを飲みながらイタリア料理を食べれば暖まることは間違いありません。


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