2020年5月9(土)
メルビル穀物倉庫
MELVILLES GRAIN STORE
ブランズウィック
Brunswick メルボルン Melbourne
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メルビル穀物倉庫は、羊毛と穀物とオークションの場所であった。メルボルンの全盛期である1888年に建築された。このころ西部地区から搬入される穀物や羊毛の一大産業があったことがわかる。
撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/1000 絞りF3.5 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ
EF 24-70mm f/2.8L 2020年1月21日14:47 撮影:板屋雅博
VHD wiki
メルビル穀物倉庫
MELVILLES GRAIN STORE
住所:1-17 COLEBROOK STREET BRUNSWICK, MORELAND CITY
建築年:1888年から1891年
施主:ドナルド・メルビル( Donald Melville)
1911年:Moreland Grain and Free Store
この堅固なブルーストーン製の倉庫は、穀物倉庫兼販売所で1888年から1891年に、施主ドナルド・メルビル( Donald Melville)の為に建設された。
ドナルド・メルビルは地元の羊毛、穀物の商人で、州議会議員にもなっている。
1911年には、モアランド穀物&なんでも店(Moreland Grain and Free Store)という名前で知られた。
ビクトリア州電力局(State Electricity Commission)は、この倉庫を石炭ブリケット貯蔵所(briquette depot)として1932年に買い取った。
第二次大戦中は、アメリカ軍が占有した。その後は、豪州連邦政府が保税倉庫として使用した。
ドナルド・メルビル (1829 -20 March 1919)
スコットランド第三の都市アバディーン(Aberdeen)に1829年に生まれた。事務所員として働いていたが、後にビクトリアへ移民し、羊毛の営業員(
traveller 営業員)として働いた。1871年にドナルドは、ブランズウィックでオークショナーとなり、同年にKate Mackayと結婚した。娘5名を持った。
穀物倉庫は、4つの点で重要である。
@ブルーストーンを使った堅固な倉庫を建築している点。1800年代後半にブランズウィック地区に石切り場と石細工工場があった点。
A1800年代後半に、穀物、とーもろこし、種、干し草などが大量に一般流通していた点。その後は、穀物のバルクでの卸しへと移る。
B製粉工場などの工程を経ないで、穀物自体が取引されていたこと。
C政治家ドナルド・メルビルが建設して、商人として穀物流通を事業としていたこと。
1874年頃、羊毛と穀物とオークションを行うD.メルビル会社を設立した。ブランズウィック市委員会の委員となり、81年から82年は、市長を務めた。1882年にはビクトリア植民地議会の南部地区の議員となった。99年から1900年には、植民地政府の国防大臣、厚生大臣になった。1904年には、メルボルン北部地区の議員となり、ブランズウィックで1919年になくなるまで議員を務めた。
ビクトリア州電力局( State Electricity Commission of Victoria::SECV, ECV or SEC)
は、州政府傘下の電力供給会社で、1918年に設立された。1972年までに発電、電力網、電力供給の担う独占企業となった。1993年以降は、発電、電力網、電力供給などは、分割されて民営化された。
SECV以前は、電力は、いくつかの民間会社により発電や供給がされていた。市内へ供給する主要な電力は、1892年にオープンしたスペンサーストリート発電所でメルボルン市当局が所有していた。建物への電灯、街灯、後に電気式トラムなどであった。民間会社としては、1899年設立のメルボルン電力供給会社(Melbourne
Electric Supply Company)であった。同社は、リッチモンドとジーロンの変電所を運営した。
他の主要発電業者は、ビクトリア鉄道(Victorian Railways)で、ニューポート発電所(Newport Power Station)を操業していた。メルボルンの市内や近郊への鉄道への電力を供給していた。電力の燃料源としては、NSW州の瀝青炭であったが、ストライキが多発する問題があった。
eMelbourne
State Electricity Commission of Victoria
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