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 メルボルンの社会史

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シングルトン・メディカルセンター

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2016年1月10日(日)
シングルトンメディカルセンター
Singleton Medical Centre
スミス通り Smith Stとピール通りPeel St
コリンウッド Collingwood
メルボルン Melbourne
この場所の地図(Googole Map)

メルボルンの医療の原点のひとつと云えるのがシングルトン治療所である。豪州初の女性医師が診療した医院である。ここから2本、シティ側の通りはギップス通り(Gipps Street)は筆者がサントリーの子会社、Florigne社で勤務した際の事務所がかつてあった場所。


撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF6.3 1/500秒 ISO感度 100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM
2015年1月21日12:27 板屋雅博 撮影


シングルトンメディカルセンターは2階建て煉瓦作りの建物でファサードは華麗に化粧されている。1889年にジョンシングルトン医師によって設立された。貧しい人々に無料の医療行為と心のケアを提供する診療所であった。
シングルトン診療所は建設当初は中央に大きな治療ホールがあり、後部にいくつかのミーティングルームがあった。メインの建物には大きな診療室、待合室、面談室、図書室、雇用希望者への事務室、喫茶室、本などの売店などがあった。
ファサードは左右対称(シンメトリー)に構成され地上階にはペディメントがある入口上部が丸いアーチ窓が数対設置してある。

シングルトン医師は1808年にアイルランドのダブリンで生まれ、メルボルンにはゴールドラッシュが始まった1851年に移民した。シングルトンは到着初期には禁酒運動や刑務所慰問などの社会活動に従事した。死刑反対運動にも参加した。ワーナンブールやマウンドガンビア、マリーボロー(Maryborough)で医師として勤務しながら、アボリジニ保護活動にも参加し、ワーナンブール近郊のフラミントン・アボリジニ居留地(Framlingham Aboriginal Reserve)の設立に貢献した。1867年にメルボルンに戻ってからは、慈善事業化としての
仕事に貢献した。無料の医療治療院やたくさんの施設を1869年に設立した。夜間の宿泊所、身寄りのない人々や売春婦の保護活動、未亡人たちのアパートをコリンウッドに建設するなどの活動を進めた。



 最初に建築された1869年の診療所は手狭になった為に一般から寄付を募り現在の建物を建築した。診療所はメルボルンの近郊に働く貧しい労働者階級に無料で治療を行った医院としてシングルトン医師の偉大な業績を示している。またシングルトン医師が関係した唯一の現存する建物である。
シングルトン診療所は貧しい人々に無料の医療を給付した最初の事業である。1800年代後半は植民地政府は福祉事業はほとんど実施しておらず、民間の慈善事業家に頼っていた。シングルトン医師が設立したこの医療所は他の施設はその代表例と云える。


 この場所はメルボルンの救世軍(Salvation Army)の発祥の地でもある。救世軍は診療所のホールを使用した。ビクトリア医療の歴史において重要なことは史上初めて女性医師ロウラ・モルガン(Laura Morgan)を雇用し、治療を行ったことである。


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