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セイフウェイ Safeway とトラファルガー会戦

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2007年12月27日(水)18時30分
セイフウェイ Safeway とトラファルガー会戦
スミス通り Smith Street
コリンウッド Collingwood
メルボルン Melbourne
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午前中は、雲に隠れていたメルボルンですが、午後からは快晴になりました。
気温は、依然として25度前後で、きわめて快適な気候です。

昨年の今日2006年12月27日(チョコレートファイア)

このセイフウェイは、豪州で一番のセイフウェイだと思います。もちろん建物がです。

 スミス通りの西側は、フィッツロイ(Fitzroy)に属します。東側がコリンウッドです。コリンウッドは、英国海軍提督Cuthbert Collingwood男爵に由来します。英国海軍史上最も有名な将軍は、もちろんネルソン提督です。コリンウッド提督は、ネルソン提督の後継者と目された人物です。

英国がシドニーに移民を送り始めたのは、1778年ですが、フランスでは1789年にフランス革命が勃発しブルボン王朝が崩壊しました。革命の混乱に乗じて台頭したのが風雲児ナポレオンボナパルトです。1796年に27歳にしてイタリア方面の司令官に任命されたナポレオンはその後、連戦連勝の快進撃を続けます。ヨーロッパでの覇権を握ったナポレオンは、1798年にエジプトに上陸し、ピラミッドの戦いによってエジプトを平定します。これにより英国はアフリカ、東地中海のルートを失います。

 1799年に大統領となり、その後、イタリア、オーストリアなどの大国を属国とし、ついには1804年に皇帝となりました。ヨーロッパ大陸を掌握したナポレオン皇帝にとって唯一の大敵は、制海権を握る英国でした。

1805年10月スペインのトラファルガー岬の沖で英仏両国の総力を挙げての決戦が始まりました。フランス、スペインの連合艦隊33隻。英国艦隊は、ネルソン提督の旗艦『Victory』とコリンウッド海軍大将率いる『Royal Sovereign』の2隊の合計27隻です。
ネルソン提督は、数に勝る連合艦隊をネルソンタッチと呼ばれる分断作戦を断行します。一列縦隊の連合軍に真横から2列で突っ込むという戦法です。この結果、仏西連合軍は、戦死者4000人を出して大敗しました。英国軍は、戦死者400名の被害で済みましたが、ネルソン提督は、狙撃弾に斃れています。
  
 このネルソンタッチのまったく逆の戦法を取ったのが、その100年後の1905年に対馬沖での日本海海戦における東郷平八郎提督(元帥)の戦法です。軍艦数や火力、兵力に劣っていた日本海軍連合艦隊は、一列縦隊で直進するロシア海軍バルチック艦隊に対し、旗艦三笠を中心にして直前で大回頭(トーゴーターン)して、連合艦隊の中心部をバルチック艦隊に晒すという無謀な戦法に出ます。これは連合艦隊の速力、艦砲の正確な着弾を東郷提督が完全に把握していたからこそ出来た戦法です。間違えば日本の将来はない、まさしく『皇国の荒廃、この一戦にあり』の戦法だったのです。

 英国のネルソン提督、コリンウッド提督、日本の東郷提督、覚えておきたい歴史です。

年末も迫っていますが、メルボルンでは気ぜわしさはまったくなく、バカンスに出かけていない人だけが残っています。


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