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イーストメルボルン 

タスマテラス Tasma Terrace

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2009年8月25日(火)
タスマテラス Tasma Terrace
パーラメントプレイス Perliament Place
イーストメルボルン East Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google

今日は、ビクトリア州、NSW州などで強い風が吹き、被害が続出した。市内では一時、大雨が降った。

昨年の今日 2008年8月25日(タワー Spire

Canon EOS 5D MarkU1/320秒  絞り優先 絞りF3.5 評価測光 ISO感度 1600 AWB 画質圧縮率 sRAW2
レンズ EF24-70mm f/2.8 USM


 タスマテラス Tasma Terrace
建築年 1878−1887年
建築様式 フリークラシカル 
建築家 チャールズウェブ Charles Webb
用途:個人住宅(現在はオフィス)

ビクトリア時代である1800年代後半は、数多くのテラスハウスがメルボルンに建築されている。そのほとんどは、2階建。タスマハウスの特徴は、当時としては大型の3階建。また坂道に立っており、一部は、4階建となっている。
当時としては貴重な鋳物の装飾をふんだんに取り入れている。
数回に分けて建築されており、ウィングの部分は取り壊されている。
この広大なテラスハウスは、1880年前後のメルボルンの富と建築ブームを反映している。

 最初の3階建は、裕福な穀物商人で店舗オーナーのジョージニッパー(George Nipper)の個人住宅用として建築された。1885年に投機家のJoseph Thompsonに販売された。
建設当時からタスマテラスは、高級賃貸アパートとして利用された。植民地政府議会の隣に位置するため、政治家やビジネスマン、ジャーナリスト、エンターテイナー、法律家、Harold Hold首相などが利用した。
第二次世界大戦後には、逆に貧民層の宿となった。更に新しいオーナーのMarurice Branaganは、30年間、レストランとして使用し、地階をマッシュルームの栽培に当てた。一時は、売春宿としても有名で、更には幽霊屋敷となったこともあった。アパートの住人からは、幽霊の声や足音や、幽霊によるドアの開閉なども報告されている。

  1970年代には、ビクトリア州政府は、この問題の多い屋敷を解体して、40階建の高層ビルに建て替える計画を発表した。
しかし、ナショナルトラストの根強い反対にあって、最後には解体計画は撤回され、逆にナショナルトラストの本部として現在、利用されている。

ビクトリア州遺産H1025



 Location
2-12 PARLIAMENT PLACE and 34-40 ST ANDREWS PLACE EAST MELBOURNE


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