2010年5月2日(日)
Great Petition
女性参政権運動の碑
バーストンリザーブ Burston Reserve イーストメルボルン East Melbourne メルボルン Melbourne
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女性の参政権運動は、ヨーロッパで始まったが、実現したのは、ニュージーランドやオーストラリア。ビクトリア州議事堂のすぐ裏手にモニュメントがある。
撮影データ
Canon EOS 5D MarkU 絞り優先 評価測光 絞りF6.3 1/500秒 ISO感度 100 AWB 画質圧縮率 JPEG レンズ
EF 24-70mm f/2.8L USM
この彫像は、女性選挙権運動100周年を記念して、2008年に作られたもの。
アーティスト:Susan Hewitt & Penelope Lee
ビクトリア州政府芸術部門(アート・ビクトリア)、女性参政権事務所、メルボルン市
この彫像は、現在の州議会議事堂の直ぐ裏手のマッカーサー通りにある。
州議事堂は、オーストラリア連邦国が成立した際の、第一回国会が行われた国会議事堂であった。
女性を政治にさせる運動、女性参政権運動は、1700年代のフランスに始まっている。しかし英国など古い階級意識に支配されたヨーロッパ大陸では、政府や議会、一般国民の理解をなかなか得られなかった。米国や英国植民地では、女性の人口が男性に比べて極端に少なく相対的に女性の権利が認められやすかった。また議会や政府も伝統に縛られることが無いので、先進的な意見が認められやすい土壌があった。
最初に女性に投票権を認めたのは、1893年のニュージーランド。だが女性の立候補権を認めたのは、1919年。
女性の選挙権、立候補謙ともに全ての参政権を全て認めたのは、1894年のサウスオーストラリア植民地。
1901年にメルボルンを首都としてオーストラリア連邦が、英国から独立。
1902年にオーストラリアは、女性の投票権、立候補権の全ての参政権を認める世界最初の国となった。
1903年の総選挙で、ビクトリア州の西側にある港町ポートランド出身の女性参政権活動家ビーダ・ボールドステインVida Jane Mary Goldstein(当時33歳)は、投票総数の5%を集める高い得票を得たが、次点に留まり惜しくも上院には当選できなかった。
ビーダは、オーストラリア、英国連邦、及び世界で初めての国会議員立候補者となった。
女性参政権
オーストラリア 1902年
フィンランド1906年
英国、ドイツ1918年
米国1920年
フランス1944年
日本1945年 (敗戦時)
参政権が無い国
サウジアラビア、バチカン市国
アートビクトリア
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