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セントパトリック大聖堂の歴史  St Patrick Cathedral

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2013年12月12日(木)
セントパトリック大聖堂
St Patrick Cathedral
イースタンヒル Eastern Hill
イーストメルボルン East Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

メルボルン教会建築の最高峰であるイーストメルボルンにあるセントパトリック教会。メルボルンの成立の歴史と深く関係している。

撮影データ Canon EOS 30D 絞り優先AE 評価測光 絞り 7.1 1/320秒 ISO感度100 露出補正 オート JPG レンズ EF-S 17-85mm f/4-5.6 IS USM 撮影:板屋雅博 撮影2007年6月24日

北西側のファサード  AlbertとGisborneの交差点より

セントパトリック大聖堂 St Patricks Roman Catholic Cathedral
建築年:1858年−1937年
場所:イースタンヒル Eastern Hillイーストメルボルン East Melbourne
設計:William Wardell
建築時代:ビクトリアン (Victorian)
建築様式:ネオゴシック (Neo-Gothic style) ゴシックリバイバル Gothic Revival
高さ:屋根まで 105m 塔まで 105m
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register

北西側のファサード  AlbertとGisborneの交差点より

 セントパトリック大聖堂は、ローマカトリック教会の大聖堂である。1847年NSW植民地政府によりこの場所に5エーカーの土地が与えられローマカトリック教会の建設が許可された。最初の司教は、ジェームスグールド(James Goold)。当時のメルボルンのカトリック信者は、ほとんどがアイルランド移民であった。(英国移民はアングリカン教会信者)アイルランド生まれのジェームスグールドが司教として派遣されたのもその理由だ。そこでこのローマカトリック教会は、アイルランドの守り神 聖人(Saint of Patron)であるセントパトリックカテドラルと名付けられた。

セントパトリック大聖堂は、ゴシックリバイバル様式教会としては世界で最も著名な建築のひとつ。ビクトリア州最大の教会でもある。この豪壮な建物は、ゴールドラッシュ世代である1850年代のメルボルンの人々の未来への期待を良く表している。またカトリック教会に対する敬虔さや尊敬の念を表している。諸事情により完成まで80年を費やした。

北西側のファサード  AlbertとGisborneの交差点より


最初の中央礼拝堂(Nave)は、1860年に完成。両翼部分(Transept)、聖所(Sanctuary)、付属礼拝堂(Chapels)は、1897年に完成。3つの尖塔は、最初の設計図より大型化して1939年に完成。設計者のウィリアムワーデルは、当時のメルボルンの最高の建築家であった。教会建築ではシドニーのセントメリーカテドラルなどの大聖堂建築の経験も豊富にあった。外壁は、ビクトリア産のブルーストーンを使っている。この為、全体として格調の高さと威厳ある概観に仕上がっている。3つの巨大な尖塔を持つフランスの有名なゴシック建築であるノートルダム寺院をモチーフにしている。カトリック教会の建築スタイルである東西基軸に沿って建てられている。

北のアルバート通りより


ジェームスグールド司教は、アイルランドの生まれで、イタリアのペルージアで神学を勉強。1838年にシドニーに説教師として赴任。ローマ法王によって司教に任命され1848年に19日間かかって陸路でメルボルンのセントフランシス教会(ロンズデール通り)に赴任。ジェームスグールドは、オーストラリアでは二人目のローマカトリックの司教であった。当時のメルボルンの人口は、11,000名の小さな都市。ジェームスグールドの努力によりセントフランシス教会は、大聖堂に昇進。NSW植民地政府や、メルボルンのラトローブ監督官との交渉により1851年4月1日に英国政府からメルボルンのイースタンヒルに5エーカーの土地を授与された。

アルバート通りの東側より


ジェームスグールド司教は、1851年の土地の授与後、すぐにカテドラルの建設を決意した。しかし1851年7月に始まったゴールドラッシュにより男性労働者のほとんど全員は、金鉱山へに行ってしまい労働力の確保ができずに着工が大幅に遅れた。礎石が置かれたのは1858年。1858年に建設が始まったが、1870年頃には、中央部分は完成したが、1890年代の不況により更に工事は遅れた。外壁はメルボルン特産のブルーストーンを大量に使っているが、これは非常に高価であった。建設資金の欠乏により大幅な遅れを生じた。1917年に完成したが、更に工事は続けられ1939年に尖塔を含めて完成した。

内部のステンドグラスは、Hardman & Mayerの作。南のカテドラル通りから。

  聖パトリックは、387年ころ、ローマ帝国統治下の英国ウェールズ(Wale)で生まれた。7年間キリスト教の法学を学んだあと、ローマ法王セレスティーン1世の命を受け、アイルランドにローマカトリックを布教したアイルランドの聖人。3月17日には、メルボルンのアイリッシュパブで、聖パトリックの象徴である緑の服を来てビールを飲むアイルランド人をたくさん見かける。聖パトリックが、死ぬ前に『命の雫を飲むように』と遺言を残したからと云われる。これでアイルランド人は、『聖人の命により』堂々とビールやウイスキーが飲めることになった。

現在の大司教(Archbishop)はDenis James Hart師 。
カトリックの教区のことを大司教管区(Archdiocese)というが、ビクトリア州には、4つの管区に分かれている。セイル(Sale), サンドハースト(Sandhurst)、バララット(Ballarat)とメルボルンだが、メルボルンの大司教が他の3つを束ねている。メルボルン大司教管区は、アジアオセアニア地区では最大の大司教管区。カトリック教会の大聖堂(Cathedral)のトップは、大司教(archbishop)。通常は、一地方にひとつである大司教管区(Archdiocese)のトップが大司教(archbishop)。大司教が滞在するその地方のNo1のカトリック教会が大聖堂(Cathedral)。

英国国教会であるアングリカン教会にもカテドラルがあり、メルボルンには、フリンダース駅前のセントポール教会がアングリカン教会のカテドラル。



メルボルンの東側のこの地域を古くはイースタンヒルと呼ばれている。いまでもいくつかの建物は、イースタンヒルの名前を残している。イースタンヒルは、メルボルンの市内で最も高台にある。スプリング通り周辺に州議事堂や財務省ビル、カールトンガーデンに展覧会ビルなどが立ち並んでいる理由は、市内の一等地であるから。その中でもセントパトリック大聖堂が立っている場所は、一番の高台に立地する。メルボルンの数ある教会の中でも特別な地位にあることがわかる。

カテドラルの南側の庭園にある聖なる川 

カテドラルの南側の庭園にある聖なる泉
大聖堂の南側の入り口近くの泉まで川が続いている。1974年にローマ法王パウロ6世が、1986年11月28日には、ローマ法王ヨハネパウロU世が、セントパトリック大聖堂を訪問している。

泉にある言葉。
The angel showed me a river whose waters give life, if flows as clear as crystal from the throne of God and Lamb.
『天使が命を与える水が流れる川に導いた。もし流れが神と子羊の王冠からの水晶のように透明であるならば。』
 セントパトリック大聖堂公式Web   カトリック メルボルン 大司教区公式Web 
 Wikipedia      AD Online  Walking Melbourne
 William Wardell: Wikipedia 豪州自伝集
 James Alipius Goold

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