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セントヒルダ・ハウス  St Hilda House

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2015年4月15日(水)
セントヒルダ・ハウス
St Hilda House
イーストメルボルン
East Melbourne
メルボルン Melbourne
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シティのロンズデール通りを東へ進みフィッツロイ公園の東の端でクラレンドン通りと交差する場所に優雅なセントヒルダ・ハウスがある。メルボルンの紅茶商人でありまた宣教師でもあったジェームス・グリフィスの館である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 6.3 1/200秒 ISO感度200 露出補正 オート JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2015年1月21日 11:27:34


住所:1-17 Clarendon Street EAST MELBOURNE
建築年:1907年
建築用途:住居
現在の用途:学校
建築様式:バロック
建築時期:エドワーディアン、アメリカンロマネスク
アーツ&クラフト(Arts & Crafts)、クイーンアン
建築家:Ward and Carelton
建築会社:R S Phillips
施主:James Griffiths

アーツ&クラフト運動の建物

船員教会 Mission to Seafarers(メルボルン百景)

 セントヒルダハウスは1907年に施主ジャームス・グリフィスのために、Ward and Carleton建築事務所が設計し、建築業者RSフィリップが建設した。
グリフィスは1873年に豪州に移民し、直ぐに紅茶の輸入会社を設立し、好調なメルボルン経済の拡大によって大成功した。

グリフィス商会紅茶倉庫(メルボルン百景)参照

グリフィス夫妻はキリスト教宣教師でもあった。1902年ミセス・グリフィスは女性宣教師協会の会長に指名された。
その頃、宣教師館が完成しキリスト教宣教師協会に信託され、英国宣教師トレーニングホームとなった。


 宣教師の熱意は1900年頃のアングリカン教会の信仰の重要な要素であった。セントヒルダハウスで訓練を受けた宣教師たちはアジアの多くの地域やビクトリア州や他州に住む原住民アボリジニへの宣教へ役立っていた。1907年、セントヒルダハウスは女性宣教師の訓練専用として使われ、男性宣教師はノースメルボルンの他の施設で訓練が行われた。セントヒルダハウスでの訓練が終了した1908年に女性院長はミス・クララ・オジャース(Clara Odgers)であり他に3名の女性が訓練を受けていた。33名の宣教師が海外へ送り出されており、コンドー湖(Lake Condah)やテイラー湖(Lake Tyers)で宣教をしていた。
1930年代にはセントヒルダハウスは英国教会女性助祭ハウスとなった。




 1960年代にはセントヒルダハウスは売却されアパートメントに内装を変えられた。1992年から2001年はメルボルンで最も有名な建築家事務所のベーツスマートBates Smartの事務所となった。ベーツスマート社はセントヒルダハウスを復元し、建設当初の外装内装、装飾を取り戻した。

セントヒルダハウスは2階建ての建物で赤レンガを外装に使用し、2階の外装の大部分を粗い鋳物でカバーされ、更に素焼きタイルのパネルで補強されている。
セントヒルダハウスは英国エリザベス調やロマネスク、ノルマン期の建築様式などを併せ持っている。
木材を多用した切り妻、アーケード、クッション式柱などが建築様式を物語っている。広がった8角形んお柱を持って角地に立つタワーや屋根にある鬼瓦などはフェデレーション(1900年以降)期の典型的なクイーンアン様式でもある。



 セントヒルダハウスは、紅茶貿易で財を成した商人として、またアングリカン英国教会のキリスト教宣教師会館として歴史的に意義深い。また1900年代初頭に英国で流行ったアーツ&クラフト運動の影響を受けたクイーンアン様式の建物としても貴重である。




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