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イーストメルボルン

セントパトリック大聖堂 St Patrick Cathedral

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ウィリアム・ワーデル

セントパトリック大聖堂

1850‐59

メルボルンの教会・寺院

2017年1月2日(月)
セントパトリック大聖堂
St Patrick Cathedral
イースタンヒル Eastern Hill
イーストメルボルン East Melbourne
メルボルン Melbourne
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イーストメルボルンのこの場所は、1848年〜53年に植民地政府からカソリック教会に5エーカーの土地が分与されたものである。西側は、教会用として、中央部は牧師たちの宿舎用地として、東側は、教会学校用地として用途を定めた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/250 F9.0 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2016年1月18日18:26 板屋雅博撮影



  最初に建築された教会は、解体されて更地になり、現在の教会が建てられた。設計は、ウィリアム・ワーデル(William Wardell)である。最初の教会はサミュエルジャクソン(Samuel Jackson)が設計し、礎石は1850年4月9日に置かれた。この教会は一部は建設されたが、ジャクソンと教会の関係が悪化したため、1854年に建設は中止された。そこでGeorgeとSchneiderのふたりの建築家が指名された。一部が出来上がっていたジャクソン設計の教会は解体された。GeorgeとSchneider設計のブルーストーン製の教会の最初の部分は、1858年2月に完成した。1858年にウィリアムワーデル設計のカテドラルの建設が始まった。信者席部分と側廊部分は、1869年に完成した。教会の残りの部分と聖具保管室は、1897年に完成した。尖塔とざんげ室が追加建築され、西側部分は1936年から40年に再建築された。尖塔はワーデルの初期の設計よりも高く作られた。

 ステンドグラスの大半は、バーミンガム(Birmingham)のハードマン(Hardman)の作品であり、ふたつのステンドグラス窓は、ミュンヘン市長(Mayer of Munich)からの寄贈であり、ひとつはモンゴメリー市長(Montgomery)からのものである。
聖所(sanctuary)のステンシル染めとペイントは、Charles Firthの作品であり、祭壇の彫刻は、FarmerとBrindleyの作品、司教座、クリーデンステーブル◆聖餐式(ミサ)の際にaltarのそばに置き、必要な祭具を乗せておく机、司祭の椅子、ざんげ室は、C N Bellの作品である。アイルランド人の政治家でありカトリック教会の改革者であった Daniel O'Connellの銅像は、Sir Thomas Brockの作品であり、1891年に公開された。長く在位したメルボルンカトリック教会大司教Dr Daniel Mannixの銅像は英国の彫刻家Nigel Boonhamの作品で1999年に公開された。

 敷地の南西角地に立地するブルーストーン製の尖塔は、セントパトリックカレッジ学校のなごりである。同校は最初は、ビクトリアカトリック・グラマー学校として1854年にグールド司教によって礎石が置かれて、建設が開始された。建築家は、Patrick Scanlanであった。1857年から1861年にかけて増築が行われ、現在のタワーはその際に建てられた。同校は1968年に閉鎖され、ナショナルトラスの反対にも関わらず1971年に一部を残して解体された。同校の場所には事務所、ホール、教会内陣などが半地下式の広大なスペースに作られた。設計はオーストラリアの設計会社Yuncken Freeman Architects社のRoy Simpsonであった。




 ビクトリア州ゴシックリバイバル様式最大の建築物であり、著名なウィリアムワーデルの傑作である。

セントパトリックカテドラルは、1869年の開設以来、ローマカトリック教会のビクトリアに於ける活動の拠点であった。


Victoria Heritage Database

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