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John James Clarkの自宅

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J.J.Clark

メルボルン建築史 1860‐69


2018年3月31日(土)
J J (John James) Clarkの自宅
104 GIPPS STREET EAST MELBOURNE
イーストメルボルン
East Melbourne
メルボルン Melbourne
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John James Clark(通称JJ)は、英国リバプール生まれで14歳の時に両親と5人の兄弟とメルボルンに1852年にゴールドラッシュを目指してやってきた。JJは、建築が好きで設計図作成士として建築事務所で修業した。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/4000 Av2.8 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2018年1月17日18:07 板屋雅博撮影


 イーストメルボルン、ギップス通り104番地のタウンハウスは、JJクラーク、 (John James Clark, 1838-1915)の住居であった。1869年にクラーク自身の設計で、建築はジョージ・ドッブ(George Dobbs)。JJクラークは、オーストラリアの19世紀を代表する最も偉大な建築家のひとりである。メルボルン初期の時代の主な政府建築物や公共建築物を手掛けた。植民地政府公共建築物主任設計者としてビクトリア中の建物を設計した。1852年に家族と共にメルボルンへ移住してきた。1878年に黒い水曜日と呼ばれるによる高級官僚の解雇事件により上司のウィリアム・ワーデル(William Wardell)と共に退任した。その後、クラークは、シドニー、ブリスベン、パースで設計を行った後、1902年にメルボルンに戻った。

クラークは、1865年に結婚し、ひとり息子のエドワードが1868年に誕生した。1868年にクラークはイーストメルボルンに土地を購入し、この建物を設計した。1870年に役所の白書では、バスルームを含む6部屋がある当時としては大きな独特の特徴を持った家と記述されている。妻は1871年に亡くなりクラークは同じ敷地で隣の小屋に息子と移動した。

母屋は、ピーター・マクラケン(eter McCracken)に貸し出した。マクラケンは兄弟のロバート及びジェームズ・ロバートソン(James Robertson)とビールの製造を始め、メルボルンのビール市場で大きなシェアを獲得した。1881年にクラークはシドニー移転し、土地建物を1884年に売却した。その後、所有者が何人も変わり、長く学生寮として使用されたが、1975年に個人の住宅として改修された。

 パウレット通り(Powlett Stree)に面した2階建てレンガ作りのタウンハウスでスレート葺き屋根である。通り面に小さな丸い花壇の庭があると1895年のMMBW計画に記されている。家の前にはアイリスの様式化された表現からなる模様がある矢来式鉄製フェンスが設置されている。家の前側にはベランダとバルコニーがあり、フランス式扉が2対あり、部屋から行き来できる。ベランダの柱には鋳物製パネル飾りがついている。これはシドニーなどでは一般的だがメルボルンでは珍しいものである。
裏側には2階建てのキッチン棟があり別棟であったが、現在はガラス製の植物室によってつながっている。他にも2階建ての建物があり、当初は洗い場であった。前側の2部屋はベランダでつながっている。部屋の内部インテリアは、ほどんど建設当初のままでありキッチンとバスルームが近代化されている。

 黒い水曜日( Black Wednesday)は、1878年1月9日に起きた政治危機である。過激な革新的自由党のグラハム・ベリー(Graham Berry)首相は、議会が政府の予算案を否決した後、局長、判事、上級職員、約400名の役員の首を切った。ベリーと議会は1877年から1881年にかけて紛争した。

クラークは、設計事務所に勤務して6年目にして財務省ビルの設計技師と建築監督に選ばれた。年間450ポンドの給料で家族の為に使った。1858年から9カ月、英国を訪問した、1861年にはクラークは、陸軍の技術中尉として、後年には技術大尉として勤務し生涯、陸軍関係の仕事をした。民間部門との仕事も許可されて、夜間にSmith and Pritchardやジョセフ・リードなどとも共同設計している。




 ウィリアムワーデルの監督の下で、最高裁判所、キュー精神病院(Insane Asylums at Kew)、造幣局、メルボルン税関、ビクトリア総督邸などの設計図にクラークのサインが残っている。

 評伝

 Wikipedia

 VHD


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