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建築史1870-79

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グレンフェリー小学校 1508

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2015年11月14日(土)
グレンフェリー小学校1508番
Glenferrie Primary School No 1508
ホーソン Hawthorn
メルボルン Melbourne
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1872年に教育法が制定された頃、メルボルンの人口は大幅に増加し、小学生の入学も大幅に増え、新規小学校が次々と建設され、既存の小学校も大幅に改造増築が行われた。グレンフェリー小学校もその進取の気運の中で設計され建築された。グレンフェリー小学校は現在も小学校として使われている。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/640 F8.0 ISO感度 200 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2015年1月23日15:28 板屋雅博撮影


小学校1508番は最初は1875年にバーウッドロードのウェスレヤン教会(Wesleyan Church)のホールでオープンした。新しい小学校はビクトリア植民地教育局の建築家ヘンリーバスト―(Henry Bastow)の設計、ジェームズボンハムの建築請負で1877年3月にオープンした。入学する生徒が増加し1881年に最初の拡張校舎がMartin & Peacock社によって建設された。

ヘンリーバスト―(Henry Bastow)の設計
State School 307(メルボルン百景)

J H ボイド女子高等学校(メルボルン百景)

Martin & Peacock社による建築物
ミント造幣局 Royal Mint (メルボルン百景)

フィッツロイ エンジンハウス(メルボルン百景)

  グレンフェリー小学校1508番
Glenferrie Primary School No 1508
住所:78-96 Manningtree Road Hawthorn
建築年:1877年
建築家:ヘンリーバスト―(Henry Bastow)
所属:ビクトリア植民地教育局
建築請負:James Bonham
拡張工事:Martin & Peacock
建築様式:ゴシック

 拡張工事では小さなフェンスをはった中庭を持った二部屋続きのユニットが校長室として建物入口部分に作られた。1887年に再度、拡張工事が行われ、生徒数は合計638人となった。1881年と1887年の拡張工事は1877年の最初の建築スタイルがほぼ踏襲された。1904年に学校の後背地のワットル道路(Wattle Road)に土地を購入し幼児学校、料理センター、手工科教室などの用地を確保した。新しい幼児学校が1907年に完成した。同時に作業小屋が校内北部に建設された。政府教育局は更なる出費を避ける為、手工科教室は古い校舎の中に作ることにした。1924年に手工科教室が建設された。

 1909年に新しい煉瓦作りの校長用の建物が校内西側に建設された。グレンフェリー小学校1508番は1900年代半ばまで裁縫教室、地域訓練教室、料理センターも実施していた。グレンフェリー第1508小学校には5つの歴史遺産建築物がある。最初に建設された19世紀の建物、幼児教室、校長棟、手工科教室、作業用小屋である。
最も古い建物は一階建て、左右非対称、ゴシック様式、多色煉瓦作り、薄い板状のスレート材を張った切り妻屋根の建物である。中央の建物は内部に鐘を配置した左右非対称の尖塔タワーである。
建物の当初のゴシック様式のアーチを持つ窓の一部は四角形の窓に置き換えられた。


  幼児教室棟は一階建てクイーンアン様式、褐色煉瓦作り、陶器製タイルを張った複層切り妻屋根、大きなホールに通じた6つの教室を持ち、ハンマービーム屋根(トラス構造を持った材木製の装飾屋根、英国ゴシック建築物の典型的な屋根)で三色ガラス窓を持っている。非常に良い保存状態である。校長棟は3つの部屋を持つ、アーツ&クラフト様式、煉瓦製、切り妻屋根である。背後に作業用小屋が配置された。手工科教室は四角形木製の建物で煉瓦製の煙突がありブリキ製の切り妻屋根である。差し掛け小屋が背後に配置されている。

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