シティ案内

今日の一枚へ戻る

プラーントップ

Bar + Cafe Babble

メルボルン百景トップ


2007年5月28日(月)
カフェ バー バブル Bar + Cafe Babble
Izzet Street
プラーン Prahran
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

土日は天気がすごく良かったのですが、今日からは天候は下り坂です。今日は、比較的気温は高く18℃ほどありました。夕方にはパラパラと少し降ってきました。
今週の中盤からは雨模様で、更に気温も大幅に低下する模様です。

昨年の今日 2006年5月28日

 メルボルンシティ以外では一番の繁華街がサウスヤラです。中心を通っている通りは、ヤラ川のチャーチ橋(Church Bridge)から始るチャペル通り(Chapel Street)です。チャペル通りに沿って、ヤラ川−トゥラック通り−マルバーン(Malvern Road)までが、サウスヤラ(South Yarra)です。更にチャペル通りに沿ってハイ通り(High Street)までがプラーン(Praran)の街(Suburb)です。ハイ通りの南側にはウィンザー(Windsor)があります。
プラーンは西は、セントキルダ通り、東はオーロン通り(Orrong Road)までです。
プラーン市場で有名ですが、近くにSwinburn 大学もあり若い人のたまり場としても有名です。特にプラーンの駅からチャペル通りにかけては、洒落たカフェ、パブ、レストラン、洋服店などいいお店がたくさんあります。トップ画像から左へ行くと200mほどでプラーン市場の正面です。

  プラーンは、メルボルンが始った1835年の2年後には既に定住が始っています。メルボルンの都市計画の総監督ロバートホドル(Robert Hoddle)によって銘々されました。アボリジニの言葉で、『水に囲まれた場所』という意味です。メルボルンの北部のサバーブは、ゴールドラッシュ期による移民の激増と共に拡大し主に低賃金の労働者が定住地区となったのに対してサウスヤラ、トゥラック、プラーン地区は、裕福な商人などの金持ちが多く住みました。ゴールドラッシュの資金の流入によりこの地区も大きく発展しました。1890年から1920年代にかけて、チャペル通り沿いにたくさんの商店街が形成されました。現在でも昔の市場や商店の建物は、チャペル通り沿いにたくさん残っています。

 右側奥がカフェバー バブル
メルボルンのテラスハウスは、プラーンにも昔のままの姿で残っています。しかしこの地区では住居は、カフェ、バー、レストラン、洋服店、事務所などに転用されていて住居は、少なくなってきています。それでも古いものをそのまま残そうという考え方は立派です。右側の青いカードの店は、歯医者です。手前側には美容室、アロマテラピーのお店などが並んでます。

 カフェバーバブル Bar + Cafe Babble
(03) 9510 6464,
4B Izzet St, Prahran

チャペル通りのプラーンタウンホールの横からプラーン駅に向かってグレビル通り(Greville Street)があります。たくさんの洒落たカフェが並んでます。その近くのIzzlet Streetにあります。たくさんの若者たちでいつもにぎわっています。
内部は広くなっており、100名ほどが入ります。
Venue HQ

このページのトップへ

下記に『メルボルン百景』のサイト内検索機能を付け加えました。 調べたい単語を入れてみてください。ヤラ川、トラム、レストラン、ワイン、などなんでも検索できます。

Google
WWW を検索 ”メルボルン百景”を検索

当ページに記されている内容の信頼性に関しまして、筆者は責任をもっておりません。ご注意ください。
当ページ及び付属のページに記載されている内容や画像を無断で複製・転載・使用することを禁じます。
当サイトは、ホームページ、ブログなどにリンクフリーです。リンクされたら下記までご連絡ください。
Copyrights (C) 2005-2006 Melbourne Hyakkei All Rights Reserved.
Please contact to itaya@iprimus.com.au


inserted by FC2 system