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プラーンマーケット正面玄関

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2007年6月14日(木)
プラーンマーケット正面玄関
Prahran Market
Prahran メルボルン Melbourne

この場所の地図Google Map
(クリックで拡大します。)

プラーン市場の正面ファサードです。
プラーン、サウスヤラ地域の台所としてまた食堂として今でも中心的な役割を果たしています。

昨年の今日 2006年6月14日

Prahran Marketの正面のビル。
Skinovate美容のお店Web

プラーン市場は、メルボルンの市場を代表する市場のひとつです。現在の場所に130年ほども存在して地域の生活の中心になっています。野菜、肉、魚、などの生鮮食料品、パン、デリカテッセン、チーズ、ソーセージなどの加工食品、など食料品、花、衣料品、カフェなどいろんな種類のお店があります。

1835年にメルボルンに移民が始った5年後の1840年にプラーン地区は、一般に販売されました。この地区には、多くの小規模な農家がたくさん住みつきました。農作物は、プラーンで販売されたり、メルボルンのシティまで運ばれて販売されていました。

 プラーン市場は、1864年にGreville StreetとGrattan Streetの交差点(現在は公園)に設置され、規模も大きくはありませんでした。1850年代にゴールドラッシュにより人口が激増し、生鮮食料品を地域に供給する中央市場が住民から要望されました。
1881年には、以前の場所が手狭になり現在の場所に移転しました。現在の市場の建物は、1890年に建設されました。トップ画像の正面玄関のファサードは、英国−オランダ系の影響を受けています。1891年には天井の屋根が完成しています。当時の市場は、内部は暗く、お店の周りには物資の移動用の馬がつながれ、ほこりっぽく、生鮮食料品のにおいが充満する清潔とはとても言いがたい状態でした。冷蔵保存が出来ないため、大半の商品はその日のうちに売り切られましたので、午後の市場は、叩き売りでたいへんな喧騒となりました。

 1920年代には更に拡張され、更に冷蔵設備が導入されました。コマーシャル道路(Commercial Road)側のバルコニーでは、救世軍による金曜の夜のコンサートが行われました。1930年代の大恐慌時代には失業者のために、慈善団体が食料品を配給する場所として使われました。第二次大戦中は、ほとんどの男性が徴兵されたため、妻や子供が変わって市場を運営しました。1950年には、火災が発生し、市場の大半が焼失し、仮の市場が作られました。1976年には、再開発が行われました。1990年代には、市場は独立して委員会により運営されるようになりました。

プラーン市場公式Web

 Aroma Bakery
Prahran Market
163 Commercial Road
Prahran
Tel:(03) 9862 8015
公式Web

プラーントップ

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