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プラーン市場正面ファサード Prahran Market Facade

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2013年4月25日(木)
プラーン市場正面ファサード
Prahran Market Facade
プラーン Prahran
メルボルン Melbourne
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メルボルンの3大マーケットのひとつプラーンマーケットのシンボルは、コマーシャルロードの正面ファサード。マーベラスメルボルンと呼ばれた全盛期に出来た建物である。

影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/160 F2.8 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2009年10月28日15:51 板屋雅博撮影

写真は、コマーシャルロードを走るZ型トラム。

プラーン市場正面ファサード
住所:163-185 Commercial Rd
建設:1891年
建設期:ビクトリアン
建設様式:第二帝国様式
階数:3階
建築家:Charles A. D’Ebro
特徴:屋上部のマンザード屋根(急角度)
建設費:12000ポンド

Charles A. D’Ebroの作品
ジョージズ デパート 
プラーンタウンホール
ウィンフィールドビル 
旧リッチモンド発電所 
スコティッシュハウス 


 1850年代からサウスヤラ、プラーン地区は人口が急速に増え地域の農家、花屋、商店などから商品販売の為に市場を作る要望が市議会に寄せられていた。
1864年に市当局はグラベル通りとIzett通りの西の土地を購入した。その頃、サウスメルボルンやセントキルダに市場が開設された。
最初のプラーン市場は、1864年にグラビル通りとグラテン通りの交差点で現在は公園と泉がある場所にプラーン市議会によって作られた。1881年には旧市場は手狭になり、1891年にオープンした。正面ファサードはコマーシャル通りに面しており、アングロダッチ系マンネリスト、第二帝国様式で建てられた。

 開設当初は、冬は寒く、夏は暑いと市場関係者からは不評であった。荷馬車の馬は、市当局が準備した待機場にたむろしていた。馬のにおいや果物、野菜、肉、家禽類の腐ったにおいでひどい状況であった。食肉用アーケードは市場の東側にあり、床にはおが屑が散乱し、かなり非衛生的な状況であった。救世軍が市場の通路で行進練習をしているのも有名であった。プラーン市場は、1923年に8万ポンドの費用で拡張されている。1920年代後半には冷蔵庫が設置されて長期保存が可能になった。
1930年代の不況の時代には、プラーンマーケットは失業者に食べ物、衣服や靴などを配布する場所となった。第二次世界大戦中は男性が出征したため、女性、子供たちが市場の労働力として活躍した。

 1950年12月26日(ボクシングデー)午後2時頃、市場の第一シェッドの中から出火。野菜アーケードを全焼、第一、二、三のオープンシェッドも全焼した。12のレンガ作りの店舗も全焼。午後4時頃に鎮火した。直ぐに一時的な市場が建設された。1976年に650万ドルの費用で再建せれた。現在、エリザベス通りからバリー通りにかけて駐車場も整備された。


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