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サウスメルボルン タウンホール

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2008年4月23日(水)
エメラルドヒル Emerald Hill
サウスメルボルン タウンホール
SouthMelbourne Townhall
サウスメルボルン South Melbourne
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map 

今朝も多少、曇りがちでしたが、昼前にはきれいな秋晴れとなりました。
あまりに晴天が続きますが今週、後半は曇りの予報です。

昨年の今日2007年4月23日(メルボルンタウンホール
エメラルドヒルという優雅な別名を持つのはサウスメルボルンです。メルボルンシティの西端のスペンサー通りは、ヤラ川を渡るとクラレンドン通りに名前を変えます。

 クラレンドン通りを真っ直ぐに南下すると、アルバートパークにぶつかりますが、ヤラ川からアルバートパークまでの一帯がサウスヤラです。
サウスメルボルンタウンホールは、サウスメルボルンマーケットの直ぐ側にあります。

Charls Webbの主な設計作品
Royal Arcade
Windsor Hotel  (旧グランドホテル)
Charch of Christ (二枚目の画像)

第二帝国様式
ウィンザーホテル
キャンバーウェルタウンホール
プリンセス劇場
メルボルンタウンホール
GPOビル
救世軍ビル

 サウスメルボルン タウンホール
建築年;1879年−80年
Address : 208-220 Bank Street,
建築時代;ビクトリアン
建築様式;クラシカル 第二帝国 Second Empire
設計;Charles Webb
フランス第二帝国様式も取り入れたビクトリア時代のアカデミッククラシカル様式の傑作です。正面のファサードには、左右対称の6本の巨大なコリント様式の円柱を持っています。屋上には左右にふたつの傾斜のマンザードルーフ(Mansard Roof傾斜の屋根)を持っています。第二帝国様式の特徴のひとつです。


 このモニュメントは、ビクトリア女王と大英帝国軍のために、南アフリカでボーア戦争に従事した豪州ビクトリアの兵士を記念したものです。
オランダ東インド会社(VOC)のJan Van Riebeeckは、インドやアジアへの拠点として、1652年に南アフリカのケープタウンに植民地を建設します。Jan Van Riebeeckは、徳川政権初期の日本を訪問したことがある植民地経営の専門家で、VOCベトナムの責任者でした。VOCは、ケープ植民地とインドネシアバタビアを拠点としてアジアビジネスを推進していました。。
しかし1800年代に入ると豪州、インドを植民地としたイギリス東インド会社とアジアでの覇権をめぐって激しく対立しました。
その最も重要な拠点が南アフリカケープタウンです。ボーア人とはオランダ系の南アフリカ人(アフリカーナ)です。

 第一次ボーア戦争(1880年−1881年)、第二次ボーア戦争(1899年−1902年)は、激戦の末、大英帝国の勝利に終わり、南アフリカ、ケープタウンは、英国の殖民となり、アジアでの覇権も英国に移りました。
その10年後には、新しく台頭してきたドイツが大英帝国と覇権争いをすることになるのが、第一次世界大戦です。
メルボルンタウンホールは、ボーア戦争の頃に建てられました。

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