2015年10月9日(日)
シティロード City Road
シティロードとフェレール通りの交差点
City Road and Ferrars Street サウスメルボルン South Melbourne メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map
シティロードはサウスバンクからサウスメルボルンを結ぶメルボルンの主要幹線のひとつだ。サウスバンクを通る一番の通りとして名高い。歴史的にはシティからステーションピア港を結ぶ主要路線として活躍した。
撮影データ Canon EOS 5D MarkU シャッター速度優先AE 評価測光 絞り4.0 シャッター速度 1/2000秒 ISO感度 200 露出補正
オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2014年1月12日17:49
シティロードは、セントキルだ通りの真下でアレキサンダーパレードに名を変える。つまりプリンセス橋の南側の地下から始まる。終点はモンターギュ通りの南側でベイストリートに名前を変える。その間、わずか2kmほど。しかしサウスバンクの重要な場所を通るのでその知名度は高い。
セントキルダ通りから始まるが、地下での交差なので実際にはセントキルダ通りとの交差点はない。
スタント通り(Stunt)通りとは交差してアートセンターへ。サウスバンクブールバードを経てサウスバンクのビル街、ヤラ川プロムナードへ。
パワー通りを経てクラウンカジノ玄関へ。
クイーンズブリッジ通りを経て市内クイーンズ通りへ。
クラレンドン通りを経て市内スペンサー通りへ。
セシル通り、マーケット通りを経て、サウスメルボルン地区へ
モンターギュ通り(Montague)を経てプリンセスハイウェイへ、空港へ。
シティロードは、サウスメルボルン地区の重要な交通路であり、ヤラ川を渡る渡し船(フェリーボート)まで1842年に整備された。1845年にはバルバーニー橋が完成した。バルバーニー橋(Balbirnies'
Bridge)は架け替えられて1850年にプリンセス橋となった。エリザベス通りとヤラ川が交わる場所には、かつて小さな滝があったがその場所には1860年にFalls
Bridgeがかけられ、1889年にはクイーンズ橋に架け替えられた。
eMelbourne
左側側の建物(屋上部分が角ばっている。)は筆者が8年ほど暮らしたアパートメント。
センチュリオンタワーアパート
サウスメルボルンからはシティロードを軸として、ふたつの主要な道路が出来た。
ひとつはウィリアムズタウンロードで、ヤラ川へぶつかる地点からは、対岸のウィリアムズタウンへ行く渡し船が出ている。もうひとつはラグーン環礁湿地帯を経てメルボルン湾へ通じるベイストリートである。ラグーン湿地帯は現在は公園が残っているだけである。
シティロード(ベイストリート)は、ステーションピアへ到達する最初の道路であり、メルボルンとポートメルボルン港湾地区を結ぶ道路として極めて重要な路線であった。
三番目は、ヤラ川チャールズグリム橋の南を通る路線で現在のロリメール通り(Lorimer Street)のあたりで1838年に運用を開始して、1839年にダルケ社(Darke
)によって補強されている。
メルボルンの道路(eMelbourne)
シティロードとフェラール通り(Ferrars Street)の交差点。
対面の左側に日本食レストラン「どんたく」があった。
ヤラ川の南側であるサウスメルボルン地区(現在のサウスバンク)は、1860年代から1920年代まで当時の大型船も入港するメルボルンの最初の主要港として活躍した。サウスゲート地区であるが、都市近郊再開発地区として1980年代から開発が始まった。最初にオープンしたのはアートセンターである。1991年から92年にかけてメルボルンに不況が遅い、その回復目的もかねて再開発が急がれた。Denton
Corker Marshall社が開発主体となって1990年代n開発が進んだ。
クラレンドン通りからポートメルボルン方面に入るとシティロードの周辺も寂れている印象があるが、今後の開発で活気を取り戻すと思われる。
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