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サウスメルボルン

クラレンドン通り Cralendon Street

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2016年9月3日(土)
クラレンドン通り Cralendon Street
サウスメルボルン South Melbourne
メルボルン Melbourne
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サウスメルボルンの地区は1855年にメルボルン市から分離して自治区となり、1857年2月にヤラ側南河岸地区(現サウスバンク)も自治区に加わっていた。1883年に市に昇格するまでははエメラルドヒルと呼ばれていた。1994年には合併によりポートフィリップ市となった。西欧人の植民の前は、原住民族アボリジニのブーンウラン種族(Boon wurrung)の一派であるヤルキウィラン族(Yalukit-willam)の領土であった。海岸性の砂地、新地帯でユーカリやバンクシアやメラレウカの木々が生い茂っていた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞り10.0 シャッター速度 1/320秒 ISO感度 320 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2016年1月17日17:50

シティのエリザベス通りは当時は淡水が流れる川があり、ヤラ川へはヤラ川の滝があり、そこに岩石の露出あり、そこに連なる古代の小山があり、ここが即ちエメラルドヒルであった。サウスメルボルンの行政区は、ノースメルボルン行政区と共に1840年3月23日に決定された。北はヤラ川、南はポートフィリップ湾岸地区、東はセントキルダ通り、西はポートメルボルンに囲まれた944ヘクタールの広大な地域である。
交通網も早くから整備され、1842年にシティロードが開通してヤラ川のフェリーボートへのアクセスが出来、ヤラ川にかかる最初の橋であるバルバーニー橋(Balbirnies' Bridge )が1845年に開通し、1850年にプリンセス橋が開通、1860年に開通したフォールズ橋は1889年にクイーンズ橋として置き換えられた。1930年もはスペンサー通り橋が開通、1978年にはチャールズグリム橋(ジョンソン通り橋)が1978年に開通した。



 オーストラリア最初の鉄道はフリンダース駅からポートメルボルンまで1854年9月に開通した。延伸は、サウスメルボルンからセントキルダまで1857年に完成した。最初の鉄道路線は、1987年にライトレール式のトラム線となった。ケーブルトラムがクラレンドン通りやアルバートパークを通りメルボルンビーチまで1890年に開通し、その後、1937年に電気式トラムに代わった。ミドルパークまでの電気式トラムが1925年に始まった。
1851年にゴールドラッシュが始まったが、急増するゴールドラッシュ移民を収容するために、同年11月にエメラルドヒルにテント村が作られた。
1852年8月の土地売り出しが始まった。ヤラ川の南側地区(現サウスバンク)に、卸業者、煉瓦職人、材木切出し職人、漁師、ボート製造職人など数百人の職人たちの町が出来上がったが、そのそばにテントキャンプがあった。



 1861年から1891年にかけて人口は9000人から41,000人に急増した。1960年代には政府住宅局( Housing Commission)により低所得者用の高層の共同住宅(パブリックハウジング)が作られた。
Emerald Hill Court (1962)
Park Towers (1969)
ヤラ川沿いの港湾地区(South Wharves)には1871年から多くの工場が進出し、ヤラ川の下流域にはメルボルン港湾局(Melbourne Harbor Trust)によって集中的に開発が進められた。そのため歩いて通える範囲内のサウスメルボルンに多くの労働者クラス用住宅がに作られた。
ポートメルボルンとの境界線近くにサウスメルボルン石炭ガス化工場が1873年にオープンした。1878年から1956年にかけて順次、近代化が進められた。

ガス工場公園、サウスポート養護ホーム(South Port Nursing Home)、アルバートパーク中学校などは現在も存在している。中流階級住宅が海岸地区やアルバートパーク地区に1860年代から建設が始まり、1880年代からミドルパーク地区の開発が始まった。



Wikipedia

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