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 デントン帽子工場  Denton Hat Mills

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アボッツフォード

ウィリアム・ピット

産業史

2018年7月29(日)
デントン帽子工場 
Denton Hat Mills
アボッツフォード 
Abbotsford
メルボルン Melbourne
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デントン帽子工場は、オーストラリアで初めて蒸気機関式動力機械を導入した帽子工場であった。メルボルンが発展して、郊外のアボッツフォードで大型軽産業工場が展開していったことを物語っている。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 1/250 絞りF8.0 ISO感度 100 露出補正 -1/3 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L 2018年1月14日16:30 撮影:板屋雅博


 デントン帽子裁縫工場は、巨大な設備であり、19世紀お産業遺産である。英国や米国の同種の工場に比肩される。1880年頃には、デントン帽子会社は、優秀な帽子製品として他のオーストラリアの植民地へ出荷された。現在の建物は、1888年頃に建設されたもので、それ以前の工場は同じ 場所にあって、現在の多色レンガ工場は、1888年に建設された。コリンウッドの市助役であり、なめし革やロープ造業者であったジェームス・ホブソン・ターナー(James Hobson Turner)と妻のスザンナは1870年6月にこの土地を購入した。1872年頃にターナーが持つなめし革工場のニコルソン通りの反対側に大型の作業所を開設した。

 メルボルンの初期の大型工場で現存する貴重な産業遺産である。煙突は、1890年頃の建築である。1874年から始まるメルボルンの帽子や服飾産業の発展に関わる歴史遺産である。メルボルン郊外の最大の工場のひとつであるり、デントン帽子会社の発展を物語っている。James Hobson Turner, Thomas Shelmerdineの3名は、メルボルン初期の帽子産業では著名人であった。
デントン帽子工場は、オーストラリアの帽子工場では初めて蒸気機関を使用した工場である。1880年代のビクトリアの工場で動力式機械を使用していたのはわずか10%程度であり、デントン帽子工場はその一つであった。

 デントン帽子工場は長くアボッツフォードは、地元アボッツフォードのランドマーク建物であった。ニコルソン通りにそびえる三階建て、イタリア式多色レンガ作りのビクトリア時代風ファサードと煙突が特徴である。デントン帽子工場はオーストラリアで最初の大型蒸気機関使用の帽子工場である。メルボルンの著名な芸術家ウィリアムピットの作品である。1881年から1916年にかけて段階的に建設された。ニコルソン通り側とモリソン通り側の各ファサードは均一性が取れた様式である。



 帽子工場では近代的な工程を行っていた。皮表面洗浄、なめし、羊毛、うさぎ皮、それらはこの工場で洗浄され、加工された。1877年、レンガ製工場が同じ場所に建設された。英国ランカシャーの帽子製造業者の息子であるトーマス・シェルまーダイン(Thomas Shelmerdine)とThomas DavisonとRobert Simonの3人が新しい建物の借主となった。工場のオーナーはターナーのままであったが。メルボルン社会で英国からの輸入品よりも国産のデントン帽子が受け入れられるようになり、業績は段々と良くなっていった。1879年に商人、輸入業者、倉庫業者であった著名なビジネスマンジョージ・スティーブンソンが新しいオーナーになった。それまではフェアフィールド帽子工場と呼ばれていたが、1880年に建物は、デントン帽子工場と呼ばれるようになった。英国マンチェスターに近いデントンの町が帽子産業であることに由来している。



 当時のデントンの宣伝文句からするとデントン帽子は、豪州で初めてのフェルト製帽子であった。ソフトタイプとハードタイプの帽子を生産し、ビクトリアでは始めて服飾産業では初めて製造機械を使用した工場であった。1881年には新しいオーナーが煙突を建設し、工場を拡張した。従業員の数も1874年12名、1876年70名、1883年120名、1887年208名、売上高も年3万ポンドに達した。数千頭のうさぎの皮と大量の羊毛を処理した。エドワード・ショー( Edward Shaw)が工場長で、ニコルソン通りのレンガ作りの家に住んでいた。
1882年にShelmerdineは、コリンウッドに台に帽子工場を建設した。そのころ分割されたデイツ・パドックのTrenerry Crescent, Abbotsfordであった。

Victorian Heritage Register No. H0815


 1887年にノースフィッツロイにあったロンドン&パリ帽子会社として知られるPatterson、Laing、Bruceの会社を買収した。デントン帽子工場の重役は、ジョージ・スティーブンソン(George Stevenson)、ジョンとジョージ・ブルース兄弟(John and George Bruce)であり、ブルース兄弟が株の大半を握っていた。ジョン・ブルースは、軽産業業界や、倉庫業界、YMCA、メルボルン病院の会長を務めていた。1901年にジョンが他界した後は、ジョージがデントン帽子会社の社長を引きついただ。


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